12月16日
12月19日に癌研の通院予定があり、この日をもって、20年来続けていた通院をやめ地元所沢の病院に転院することを決断し、これまでの癌研での通院時の資料を整理していた。癌研での手術後20年分の癌研での治療を受けた資料を分類整理していた時、床に整理した資料を取りまとめしようとしたとき、腰をかがめた途端に腰に激痛が走った。「祟りじゃー!!!」
正直その時はまじに、祟りを信じ延期する気持ちに動いたが、癌研での「手術」「入院」「癌の取り残し手術の失敗」「20年間のその後の治療」そして現在「75歳」人生の黄昏を迎えた時、癌研(有明病院)、への通院はまず加齢による体力の衰え、一人での通院が困難、ラッシュ時間帯の通院を避けるため(これまでのように診察時間が9時ならば)、前日に近隣ホテルの予約は必須、と経済的にも、体力的にも負担が大きく、かつ、現状「癌研有明病院」でなければという、優位性が、これまでの20年間の通院・治療実績から、は正直失われたと私は判断をした。
12月18日
今回の通院に当たっては前もってカミサンに同伴を頼み、癌研近くのホテルを予約した。しかしぎっくり腰の祟り同様にホテルが「祟り第二弾」となった。「相鉄グランドフレッサ東京」なんとほとんど客がなく、全館薄暗く、幽霊屋敷、完全冷房完備、「これ都内のホテル」と目を疑った。しかも我らはビジネスホテルのツインルーム、フロアー全体に客の気配なし廊下はコートを着ても寒く部屋に入ると「霊安室」さながらだった。かみさんがフロントにTELするも応答なし。ただし風呂は温水が出た。二人ともに熱めの風呂に入り、カミサンはコートを着たまま寝た。
12月19日
とにかくこの寒いホテルを一刻も早く出たかった。「二度と泊まりたくないホテル」を出てすぐに癌研に入ると、「癌研の暖房」に癒された。
癌研有明ではいつも通りに、入口に並ぶ診療受付機に癌研カードを差し込み「本日の診療予定」に従い該当場所に赴きそこでまたカードを挿入、採血検尿を受け、泌尿器科の待合に赴いた。朝1番のつもりであったが、先生の診察は10時半、結局はこの日も会計が済み、薬局で薬購入が終わったのはお昼になった。
豊洲駅にもどり駅近くの「なか卯」で昼食を済ませて、そのままどこもよらずに帰宅した。
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