とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

日本敗戦 75周年を迎えて (その3)満州を見る(漫画:虹色のトロッキー)

2020年08月25日 | この本は面白い

「虹色のトロツキー」を知ったのは下記のフォーラムの「漫画で描こうとした大陸と日本青年」安彦良和氏の講演のしかも終わりの結論とも言うべき10分足らずの時間だった。しかしその時の私の目的は、次の、「東亜同文書院生が記録した近代中国」藤田佳久氏の講演だった。しかし10分ほどの講演が非常に印象に残ってしまった。

図書館総合展特別フォーラム
(テーマ「海を渡った若者たち」)
「漫画で描こうとした大陸と日本青年」安彦良和氏
「東亜同文書院生が記録した近代中国」藤田佳久氏
「満洲の青少年像』ロナルド・シュレスキー氏
2006.11.21
パシフィコ横浜アネックスホール第5 会場

 なぜ私が図書館総合展にいたのかと言えば、当時私は金融機関を定年退職し、第二の職場として、親会社の取引先への経営情報をNetで配信する関連の情報提供会社に再就職したものの、売り上げは低迷していた。そこで先輩が当時公営図書館の在り方が問題となり、「貸本屋からビジネス支援」が一つの潮流になると読み、そこで当社も図書館総合展にブースを出すことになり、私は説明員として会場に行った。その時、他国に私立大学を設立した「東亜同文書院生が記録した近代中国」の講演に興味を持ち良い席で聴くため早めに会場に行き、その前の講演の結論部分の「虹色のトロツキー」を知った。

 しかし「虹色のトロッキー」についてはカミサンは漫画そのものより学生時代の「トロキスト集団」の嫌悪感でこの漫画を嫌い、私自身は学生時代の部室でサンデーやマガジンを抱えてギャーギャー騒いでいた先輩(今では漫画評論の大家だそうだが)の嫌悪感と電車の中で「大人が漫画」の抵抗感から、マンガそのものを読むことなく今日に至った。

 たまたま「敗戦後75年、だから何なのだ」の気もするが、ここ数年の大陸・半島・我列島の政治の動きが「キナ臭い」。このキナ臭さを消し去るには、75年前以前の出来事を、残されたあらゆるメディアを通して「知ること」が必要ではないかと。老い先短い戦争を知らない我らジジイが、あれこれ言う資格はないが、「あべちゃん」が「爺さんの栄光話」だけや「お隣さん」の「殴られた痛み」だけの未来志向では未来はないはず。と手持ちの読み返しや、新書本を中心に何冊かの新規購入で、暑さで「鳥撮り散歩中止」で空いた時間を埋めるつもりでいた。そんな折に、「虹色のトロッキー」を思い出しNet検索で探し全8巻を購入した。届いた文庫サイズの漫画本は想定外の出来事だった。近視・乱視のものにはセリフの文字が小さすぎて読みずらかった。それでも13年の寿命で消え去った「五族協和」「王道楽土」幻想は描けていたのではと思った。しかしネタばらしだが、途中での偽トロッキーの死では、あとはノモンハンの悲劇に終始しスローモーションの画像を見るだけのようで物語そのものは竜頭蛇尻に終わっていると思った。

 東亜同文書院の業績は「愛知大学」が継承しているとのことだが、13年の寿命では「満州建国大学」の業績には見るべきものがなかったのか、卒業生の名前に、軍人・裁判官等権力側の人材が目に付く、これも民間人が設立した東亜同文書院と植民地経営のための設立大学の差なのか。肝心の物語は映像化すれば「ドクトル・ジバコ」並みの大平原の戦闘シーンを想像するが、そこに見られるのはジバコの美はなく虚無の美だろう。

 

 


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