とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

親の介護で疲れた、週末その1。

2012年09月22日 | Weblog
 木曜日の夜、家の電話にオフクロの入所している老人ホームから様態がおかしいとの電話があり、担当者は私に判断を求めてきた。私はオフクロの体調については毎月病院通いをしていることから、正常でないことは理解しているが、今日今の状態の判断はしかねた。これからホームまで駆けつけて判断を下すことは正直時間的に厳しいことから、出来れば1日様子を見てもらえれば、土曜日に主治医の先生のところに連れていきたいと希望を告げた。
 たまたま金曜日はカミサンのオフクロサンの病状の問題でカミサンは実家に帰るので、出来れば金曜日は避けたかった。
 その後再度電話が来た。ホームの判断で救急車を呼んで主治医のいる西大宮病院へ連れていきたいと言うので承諾した。しかしその後の電話で西大宮病院はベッドに空きが無いので断られ、日赤病院へ運んだとの連絡を受けたが、日付が変わったところで主治医の先生からは病状は知らされているので取り敢えずは意識があるとのことで日赤の開門時に合わせて病院に行くと告げた。
 金曜日朝抜きで8時にさいたま日赤に着いた。案内所で事情を説明すると急患受付に行くよう指示された、そこで急患病棟に行くよう指図を受け、病棟のナースステーションに出向くと、看護師さんの案内で病棟に案内された。オフクロは日赤のベッドにいることが理解できずにトンチンカンな話をしだしたので「肝性脳症」の症状だと思った。
 その後看護師さんから担当医師の説明があるのでお待ちくださいと言われ待合室に案内された。9時になったので会社に事情説明し休暇申請を電話でした。待合室に度々看護師さんが訪れ、急患の応対で先生の説明が遅れるとの報告で結局先生の病状説明は11時になった。説明途中で私が「肝性脳症」でしょうかと問うと、先生は「よくご存知ですね。」と言われたが、こちらとしては、ホームに入れる一番の要因であり、これまでに何度もこのために入退院の繰り返しをしているのだからと喉まで言い出しそうになったがやめた。そして結論は、今しがた西大宮病院の主治医の先生と連絡がとれ、12時30分に救急車で西大宮病院へ運ぶので待機していてくださいと言われた。12時30分それこそジャストに消防士3名があらわれ、てきぱきとストレッチャーにオフクロを移し変え、書類を渡され、必要事項の記入を求められた。
 西大宮病院の急患治療室では、主治医の先生が待機していてくださって、いつもの看護師さんもいらした。ただ金曜日は先生の休診日のはずだったので、ホームからの最初の電話の時に何とか土曜日までとの意識が働いたが、先生はいらしていただいたのだろうか。取り敢えずは「点滴」と「輸血」で病室もナースセンターの隣と決まった。取り敢えず近くに住む「叔母に」電話をいれ、叔母の力を借りて、取り敢えずの入院支度を整え、看護師さんから入院の手続き、治療承諾書を渡され、今日は帰っても良いですと5時頃言われ、ホームに経過報告に寄りその後大宮駅から丁度到着した湘南ラインに飛び乗ったのが、これが失敗だった。
 池袋に着くとホームは人であふれていた。踏切での人身事故で電車は止まっていた。一刻もはやく戻り寝たいと思ったことから動き始めた電車に乗った。満員の中立っていたが幸い石神井公園で座れ、危うく乗り過ごす寸前に気付き小手指に着いた。
 家についてそれこそカミサンも少し遅れて帰宅しお互いにオフクロサンの経過説明をして寝た。


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