とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

老老介護疲れ 備忘録

2012年11月20日 | Weblog
2012/11/17
 土曜の夜にオフクロの入所している老人ホームから電話。オフクロの体調が良くないとの第1報を受ける。夜中1時頃救急車でさいたま日赤病院に運んだとの報告。正直「またか」と思ったこれで3度目 9月に同様の事態があったばかり。
 肝硬変、肝不全による肝性脳症だ。危険な状態には違いないが、タクシーを飛ばすか、朝1番で行くか迷ったが朝1番にした。
 夜は、寝ようと思っても色々考えが巡り結局寝れなかった。

2012/11/18 
 朝6時9分のバスで家をカミサンと出て、西武線、武蔵野線、埼京線を乗り継いだ。途中武蔵浦和での乗り換え時に、さいたま日赤の先生から携帯に電話が入る。早く来いとの催促だ。先生の当直明けの8時半までに来いとのことなので8時まえには病院に入れる旨を伝えた。
 7時40分に病院に着いたが正面玄関は閉じられどこから入るのか迷った。受付で救急車で深夜運ばれた家族のものだと告げると、救急病棟のナースステーションを指示された。30分ほどして若い先生が現れた。これまでのオフクロの診察履歴と薬の服用リストを持参し先生と面談した。先生は今週一杯が危険な状況が続くので、呼び出しに対応できるように遠出は避けるよう指示された。前回も同様のケースで日赤に運ばれ翌日転院させられた旨を述べ、今回は日赤でなんとか治療をして欲しい旨を述べた。そして今後の治療につき胃瘻を含めスパゲッティ状態の「心臓停止阻止だけのための治療は望まない」旨を伝えて、先生も同感ですと言われたが、「私は当直医でその旨は内科の担当医に連絡しておく」と言って帰った。看護士さんが書類を持ってきて入院手続きをしてください言われ、書面に必要事項を記入し、入院手続きを入館管理室に提出し終わった。朝食を済ませていなことに気づき地下に売店があることを教えてもらい、カミサンはおにぎり、私はパンを買い食べた。その後はオフクロの病状も進展なく我々は廊下でただ待っていった。
 昼過ぎてから、看護士さんから重症患者病棟が空いたので移りますとのことで、救急病棟から移された。個室であるが日赤の場合は差額病棟では無いとのことだった。オフクロの様態に変化はなかった。2人とも昼飯を忘れていた。2時過ぎて大宮そごう行きそこの赤坂更科の穴子天そばを食べた。病室に戻ってすぐに娘が見舞いにきてくれた。しかしオフクロの意識はなくうわ言を言っていた。正直疲れた。娘が帰るのに合わせ我々も病院を後にした。

2012/11/19
 カミサンは病院に、私は会社に出勤し、今週予定していた浜松、名古屋の出張を取りやめしアポ先にお詫びの電話を入れた。一部は同僚にカバーしてもらい、迷惑をかけた。24日に予定していたオフクロの主治医の診察を、入院したことでキャンセルの電話を入れようとしたところカミサンから電話。「Kという担当医から、明日主治医の病院に転院しろと言われたので主人でないと応諾は出来ないといったので、電話がかかるはず。」との連絡が来た。程なくして「担当医のKです」と言って電話が来た。私は「一方的に言われても納得出来ない。」と言うと、「話があるなら8時まで病院にいるのでできるだけ早くきてくれ」といわれ、「6時半ごろには着ける」と言うと電話は切れた。
 5時半に事務所を出て丸ノ内線で池袋に出て湘南ラインに乗った。6時半にナースステーションに着いた。カミサンが待っていた。看護士さんに事情を伝えると、「すみません、先生は診察中ですのでお待ちください」と言われオフクロの病室で待つことになった。8時過ぎに先生は現れた。「当病院は急性期病院なので、急性期の患者を優先している。一応急性期は過ぎたとの判断であり主治医に依頼し受け入れの承諾を得たので転院してくれとのことだった。当院としては先のある患者さんを優先したい。ベッドに空きが無くあなたのような要請を応諾すれば何人もの必要とされる患者が救えなくなる」とまで言われてしまった。確かに肝硬変、肝不全は慢性病だろう。完治のみ込みのない患者は先がない。言われることはごもっともだが、何か割り切れない。何かが自分でも理性では納得しても感情では納得できなかったが、患者が病院を選ぶのではなく、病院が患者を選ぶ時代の流れを感じ、承諾せざる得なかった。転院は11/21となった。帰りぎはに医師から「なぜ、輸血はだめなのか?」と質問がでた。驚いたこれまでのサマリーに何度も輸血の履歴はあるのになぜそんな質問がでたのかと思った。私は「輸血を拒否したことは無いですがなぜですか」というとサマリーを見ながら「過去歴にありますよね」と言って明日輸血しますと言って別れた。
 帰りは24時間営業の秋津駅前の立ち食い蕎麦屋「富士そば」での夕食になった。

2012/11/20
 カミサンは当初予定していた、カミサンのオフクロさんの入院の付き添いに実家の品川に行った。多少ののトラブルはあったが実家近くの病院に入院した。
 私は出勤して仕事をしていると、K医師からの電話。「輸血の承諾書は代筆したので承諾してくれ、明日は11時までに病院を出て欲しい。」とのことで、前回は日赤の方で救急車を手配してくれたが、今回は自分で介護タクシーを探せとの事だった。日赤で2社紹介を受け、ストレッチャーでの運搬を予約した。

2012/11/21
 カミサンと日赤に10時前に入り、会計を済ませ、パジャマ、日赤は紙おむつは患者が用意するのだが、転院先は病院側が用意する。これは予定していなかった転院だけにがさバル荷物となった。長期入院を考えたために、衣類・タオリもがさバッタ。
 それらをまとめ11時前に来た介護タクシーに乗せ転院先病院に着いた。しかし転院先は受け入れ態勢はできていなかった。
 介護タクシーは、オフクロは障害者手帳の所持者のため1割引とのことで14560円だった。
 主治医の病院だけに入退院を繰り返していることから、看護士さんに顔見知りもいて挨拶を受けた。
 主治医の先生がすぐ診てくれ、下血の原因を検査スルだけの体力が無いので、見送るが良いかとの同意を求められた。同意した。以前から造影剤の使用も困難と言われ超音波検査が限度だった。内視鏡はやめることとした。
 点滴と輸血でアンモニア濃度の低下で意識は戻って来たが、安全圏には至っていないが、老人ホームの専属医との今後の対応について、ホームの所長さんを交え話し合いに老人オームより帰宅したが、今日の夕食は新秋津駅前のココ1番の牡蠣カレーだった。
 貧しい夕食続きの疲れ果てた「老々介護」だったが、これは多分序盤戦だろう。

 正直 ゲルギエフ・マリンスキー歌劇場のコンサートのチケットが無駄になったのも、帝京ー明治のラグビーも忘れていた。

 



 


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