とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

十数年振りのサントリーホール、N響を聴く

2011年02月23日 | クラシックコンサート

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2月16日に職場の先輩からN響の定期に誘われた。いつもは定期会員としてご夫婦で行かれているのだが奥さんの都合がつかずお誘いいただいた。願ってもいないお誘いだ。しかもサントリーホールだった。久しぶりに行く六本木は、正にお上りさんになっていた。

演奏はジョナサン・ノットの指揮。生で聴くのは初めての指揮者だ。
最初の曲はアルボ、ペルトのベンジャミン・ブリテンへの追悼歌
わがCDコレクションには60年代、70年代、80?年代の彼の代表作があるが、演目の曲は初めて聞く曲だ。


このCDは60年代の作曲の交響曲1-3番をメインとした組み合わせを、3番をささげられたミーメヤルビの指揮でバンベルグ交響楽団が演奏している。耳に心地よい響きのないいかにも前衛的といわんばかりの曲で、ブリテンの追悼歌と繋がりを探せないような曲だ。ペルトもこんな曲を書いていたんだと思うような曲だ。



鏡の中の鏡と題された3つのバージョンが収められている。なんとも形容しがたい、安らぎを感じる曲で、寝るときに時々聞いている曲だ。私にとってのペルトを感じる曲だ。
ブリテンの追悼歌はこの曲が原点なのかと思った。


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ヴァチカンでのミレニアムを記念したテ・デュームの演奏会のLIVE CDでシャルパンティエ、モーツァルト、ヴェルディ、そして最後にペルトの曲が収められている。彼の「癒し系」の響きが、ソ連崩壊による21世紀の始まりを象徴しているかのような曲だが作曲年代は彼の母国エストニアの厳しい政治環境の中で作られた曲であることが、不似合いに思う。

次の曲はAvner DormanのFrozen in Timeというパーカションのための協奏曲だ。日本初演とのことだが、これは独奏のマルティン・グルービンガーのアクロバティックな演奏と、ショーマン 的サービス精神(アンコールも素晴らしかった)で楽しめた。

演奏が楽しいのであって、曲は繰り返し何度も聴きたいとは思わないが、見ても楽しい曲だった。解説にはインド・アフリカ、ユーラシア、南北アメリカを表現・・・とあったが1楽章は日本の和太鼓のリズム感、歌舞伎での幽霊の登場を思わせるところを感じインドの連想は私には薄い印象だった。

最後はショスタコービッチのNo.15のラストシンフォニーだった。彼の回想録だが、この曲に現れるロッシーニとワグナー、ベートーベンを通して彼は何を語ろうとしたのだろうか。

わがコレクションはバルシャイとハイティンクがある。


ジョナサン・ノットの演奏は、ある意味客観的に楽譜を追っている演奏に思えた。ロッシーニの旋律はロッシーニらしく、同様にベートーベンもワグナーの旋律を奏で、ショスタコーヴィッチの回想録を物語っていた。ハイティンクのアプローチと同じと思った。
バルシャイの演奏は彼の交響曲1番の諧謔性、5番の苦悩から歓喜、8番のニヒリズム、ペシミズム、をダブらせ彼のこれまでの交響曲の象徴として引用された旋律を表現しているように私には思えた。どちらも私は気に入っている。ノットの演奏もその意味では、耳には心地良く流れていた。

久しぶりのN響の演奏は楽しかったが、負け惜しみを言うならば、オーケストラの響きは我が町所沢のミューズの方が響きは良いと思った。









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