とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

猛暑の中で、「フランスの山人の歌による交響曲」を聴く

2015年07月26日 | LPレコード

 いつもは朝起きると、家の窓を一旦全部開けるのだが、今日はためらった。開けた途端に外の熱気が流れ込んだ。すぐにエアコンのスイッチを入れた。それこそ外に出るのをやめた。するとカミサンが、「この暑さでは買い物に行きたくないので、リストを書くから、買い物してきて。いやなら、冷蔵庫にあるもので夕食を作るから。冷房にして車で行けば出来るでしょ。」とのたまった。冷蔵庫は空っぽなのを見越して言うのがずるいところだ。日曜日のスーパーは混雑して、駐車場も、レジでも待たされるのが嫌で日曜日はいつもは拒否するのだが、食い物には勝てず、お昼の一番暑い時ならば空いているだろうと出かけた。ドアーを開けたとたん車内の熱気が噴出した。すぐにエアコンをかけ窓を開けて走った。駐車場は空いていた。レジもほぼ待ちなしで済んだがそれにしても暑さは半端ではなかった。帰宅するなりすぐに自室に引きこもり、エアコンをかけて、少しでも避暑地の気分を味わうべく音楽をかけた。

小学校の低学年のころには海水浴の記憶はあるが、泳げるようになると、それ以降の夏は水泳大会に出るべくプール通いが夏の日課で、夏は山と海ではどっちが好きかと問われれば、学生時代も当時の定番だった伊豆七島どころか湘南にもいかず、東北・北海道の山歩きをしていた。したがって避暑地の気分から連想する音楽は、山の音楽だ。曲名だけならばR.シュトラウスの「アルプス交響曲」だが、この曲は避暑地の気分には程遠い分厚いオーケストレーションが煩わしい。

このところ手持ちのLpレコードを24bit,96kHzにハイレゾ化してPCに保存している。今日取り上げた曲はヴァンサン・ダンディーの「フランスの山人の歌による交響曲」別名セヴェンヌ交響曲。このLpを買うまでは演奏会で聴いたこともなければ(今もって実演を聴いていない)、一度も耳にしたことのない曲で、ただただ南仏のセヴェンヌ山脈へのあこがれで買い求めた。今となってはフランスのかけがえのないユネスコの文化遺産の地だが、わが身には今もって現地へ行くことが見果てぬ夢に終わりそうな今日このごろだ。

このLpの録音は1958年、ドルの力で、ヨーロッパから人、物(楽器)をかき集めフィラデルフィアサウンドを音の魔術師ストコフスキーの跡を音の職人と言われたオーマンディーが引き継ぎ、磨き上げた世界最高の音と言われた時代だ。だが生の音を知らない私には当時も今も私の装置が再生しないせいかもしれないが、そんな評論家の言は疑問だった。ステレオ録音初期の左右分離が明確な機械的な音に思えるだけだったが、演奏は交響曲というよりは協奏曲的に録音もピアノが出しゃばるようにとらえ、全体的にフランスの山人の素朴さよりも避暑地にきたブルジョワのゴージャスな感じに思えた。

(その他の私の手持ち)

クリュイタンスのよさなのだろう、交響曲と協奏曲の絶妙なバランスの取れた演奏。ただ録音がモノで古さを感じる。

ピアニストはクリュイタンスと同様のチッコリーニだが30年の隔たりは、この曲の指導権を握っている。それをセルジュ・ボドが見事な構成力とリズム感でピアノを包み込み協奏曲的に全曲をまとめ上げている。私の一押し

大好きな指揮者ミンシュの爆演。この曲は文字どうり交響曲です。ピアノは一つの楽器です。文句があるなら聴くなと言わんばかりの演奏。この迫力が魅力です。

この演奏はワグナー編曲のような、ワグナー風の濃厚な音の流れで、ピアノは楽劇の歌手のようなもの。それが何とも言えない魅力だがセヴェンヌ山脈ではなくチューリンゲンの森になっている。

 

 

 

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