とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

高校クラス会旅行に参加 その1 本隊合流前日に京都入り、鉄道博物館へ

2020年01月30日 | 高校クラス会

 1月27日 高校クラス会旅行参加の為、一人前日に京都入を計画。自宅から6時32分のバスに、小手指発新木場行きの準急で有楽町に8時30分ごろ到着、山手線に乗り換えて東京駅に、当初購入した9時30分発のぞみを1本早い9時発に変更し、ホームに、さすがメイン列車だけにほぼ満席。良く変更できたものだ思いながら、ホームで購入したおにぎり2個とお茶のペットボトルで朝食。しばし仮眠。米原通過案内で起きる。京都に定刻11:17到着。この分なら並ばずに「はしだて」で昼飯がありつけると出向くがすでに行列3番目。しばらくして店員さんが、「丸テーブルでしたら相席でのご案内は可能」とのことで応諾。すぐに「今月のおすすめ丼ぶり=雉丼+そうめん」2035円を注文。

正直、雉肉の素揚を食べた経験がないゆえに比較判断はできないが、私の採点は可=50点 肉の硬さと揚げた油の匂いで、「雉肉の風味」が伝わらない。

 山陰線ホームへ、「まもなく、発車します」のアナウンスにあわててたが、両端のドアーしか、空いていなくあせったが、乗車。最初の停車駅「梅小路京都西」。駅の改札口を出ると博物館の入り口だった。

博物館前の広場の隅っこに京都市電が博物館とは関係なしに、おかれていた。

入口は印象に残らないが、出口は京都二条駅の旧駅舎の移築、趣と歴史を感じるたたずまいだが、中は記念グッズの売店だった。

 私にとっての田舎は母方の祖父が大宮に住んでいてそこが「田舎」だった。当時はまだ東北線も、高崎線も完全電化はされずにまだSLが走っていた。大宮から帰るときには、SLの時刻に合わせ、乗車し、上野乗り換えで神田に帰った。祖父の家は大宮操車場の近くにあり、SLが主役で、それこそ祖父・祖母にねだって、操車場の見えるところに連れて行ってもらいSLを眺めていた。また幼稚園から小学校低学年の頃は、日曜日に父に連れられ、4-5年になると友達同士で当時は神田万世橋にあった交通博物館(飛行機・船舶の展示もあった)へ通った。なぜか当時もSLが一番好きだった。

 その意味では京都の鉄道博物館のターンテーブルの生かされたSL展示は今も大きな感動をもたらし、これだけで満足した。人間が機械を動かす時代に生きていたものには、何もかもがコンピューターに指示されながら生かされる時代にはついてゆけなくなった。SLの吐き出すドラフト音とブラスト音は、SLの消えゆくあがきとなり、それは消されてゆく「人間性」の断末魔と重なる。

 梅小路西京都からJR西で二条に出た。すぐ近くに二条城が見えたので歩いたが、入城口は反対側で、結構歩いた。お堀にはオカヨシガモが多くいた。特徴ある逆立ちしての採取姿も見られた。

 中国からの観光客が多く、雨が強くなってきたこともあり、またの機会にと早足で見学コース(二の丸御殿 ・本丸は修復作業中)を回り、二条城前駅から地下鉄で三条に出た。そばを食べて大阪に戻ろうと、駅近の蕎麦屋を捜したが、有喜屋は閉まっていた。仕方なく京阪三条駅から特急で京橋に出ることにした。特急料金なしで乗れるのは良いが、混雑時にはこのシート配置は立っている人にはつらいものがあると思った。京橋でJRに乗り換えて、新大阪駅近の予約したホテルに向かうことに、その際京橋駅で環状線は東京の山手線と同様と思い込み、環状線を待ったが一向に現れない。白浜行、和歌山行きetc,そこで近くにいた女性の駅員さんに尋ねると、「環状線という電車はなく、大阪駅にはすべての電車は止まります」と言うではないか???? 大阪のカオスに直面した。 

 次に来た電車に乗り「大阪駅」で乗り換え「新大阪」に着いた。今晩の宿「メルパルク」を目指した。駅の賑わいとは程遠い街?でビルの中のコンビニ以外に商店、飲食店は見当たらず、新大阪駅で食事したことが正解だった。

 

 

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