ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

平泉(2)

2007-06-29 11:25:21 | Weblog
はじめは普段歩き慣れていないものには少し急な坂だったけれど、少し行くと緩なって来た。
杉の大木が道の両側に連なっていて、強い日の光を遮って滲んで来る汗を和らげてくれた。
平泉へ来たのは五十年も前の中学の頃に歴史の教科書で学んだ藤原氏の栄華の象徴の金箔張りの金色堂のことや源義経を匿った話を現地を訪れてつぶさに見ることだった。
金色堂は修復されて本当に素晴らしく蘇っていた。
そして屋根の一番下の端の痩せた垂木と屋根下地の六センチ程の分厚い板や屋根の隅に板が使われているのを見て完成時の様子が思われた。

修復作業のビデオ見てその作業の難しさに驚かされた。
はじめに作った人々の大変さと卓越した技量には敬服させられた。
現代の技術者が何年もかけて修復したものを、当時の匠は恐らく楽々と作り上げていたのではないだろうか。
先人は技量も抜群だけれど、知識の深さも凄い。脱帽せざるを得ない。

権力者の力、文化というか芸術ヘの思い、そしてそう云ったものをトータルに実現するプロデューサーの存在。
兎に角権力者は洋の東西を問わず、文化の擁護者だったのだろう。

遠い昔のものに触れる度に、誰が企画して、工事を指揮をし、仕上げて行くのかということが疑問としてのこる。
時空を越えてその時代へワープして自分の目でつぶさに見てみたい衝動がある。

そうそう、義経には弁慶だ。
弁慶堂で原寸大の大きな鎌倉彫刻の弁慶に会った。
本当に体格のいい大男だった。
それにしても生死を共に出来る主従関係なんて私には到底考えられない。
それと権力には弟も殺してしまうほどの魔力あるのだ、と教えられた。
(現代も同じようなことが世界各地で行なわれているけれど)

”夏草や 兵どもが 夢の跡”と詠んだ松尾芭蕉の句碑があった。
正にその通りだけれど、かっては夢ではない現(うつつ)の生活があった、という数えきれない程の宝物があった。

義経や弁慶もこの道を歩いたに違いないと、遠い時代に思いを馳せながら平泉を堪能した。