ウィキペディア日本語版引用参照
浪速夢見頃>日本の伝説(12)
♪九頭竜伝承②
日本の伝説記事リンク
あらすじ
-------------------------------------------
[戸隠の九頭龍伝承]
戸隠山の九頭龍信仰の源は戸隠神社の九頭龍大神である鎌倉中期に記された
『阿裟縛抄諸寺略記』の中に西暦800年代の中盤頃の話として「学門」と
いう名の修行者が法華経の功徳によって、九つの頭と龍の尾を持つ鬼を
この地で岩戸に閉じこめたという言い伝えが残されている。悪さをしたため
岩戸の中に封じられた龍である面、山伏たちが九頭龍権現の名で、雨乞いを
して水神として人々を助けた面の両面がある調伏善龍化伝承。雨乞い
縁結びの他歯治療にも霊験があり、好物の梨を供えると歯の痛みを取り除いて
くれるとされている
--------------------------
[三井寺の霊泉と九頭龍大神]
近江国三井寺(園城寺)金堂の近くには天智天皇・天武天皇・持統天皇の
三帝が産湯に用いたという霊泉が沸いている。この霊泉は
「御井(みい)」と呼ばれ「御井の寺」から三井寺の通称となった。
その霊水は古来より閼伽水として金堂の弥勒菩薩に御供えされてきた
この御井の霊泉には九頭一身の龍神が住んでおられると今に伝わる。
その九頭龍神は、年に十日の間深夜 丑の刻に姿を現わして、黄金の
御器を用い水花を金堂の弥勒菩薩まで供えに来られるという
そのためその期間は泉のそばを通らない仕来たりであった近づいたり、
覗いて見るなどの行為は、「罰あり、とがあり」と言われ禁じられてきた
--------------------------------
[猪名川・五月山一帯の九頭龍伝承]
久々知妙見宮は清和源氏の祖、源満仲(または多田満仲 912年? - 997年)が
開基したと伝わる妙見宮である。天徳元年(957年)源満仲が矢文を放った
ところ岩に当たった。その岩を矢文石と名付けてその地に北辰星(妙見宮)
を祀ったと伝わる。その後、天禄元年(970年)摂津の国守に任ぜられた
とき、源満仲が新しい館をどこに築こうか思い悩み、同国一の宮の
住吉大社に参籠した参籠して二十七日目、『北の空に向って矢を射よ。
その矢のとどまる所を居城とすべし』との神託を受けて、満仲は鏑矢を
放った。家来を引き連れた満仲は、空高く五月山を越え放たれた矢を
追いながら鼓ヶ滝付近まで来た時、白髪の老人に出会い、矢の落ちた
場所を知ることが出来た。この場所は「矢を問うたところ」として、
『矢問(やとう)』という地名で残っている満仲が老人に教えられた
場所に行ってみると河水をたたえた湖(沼)があり、その湖の主の九つの頭
をもった雌雄二頭の大蛇(九頭龍)の内の一頭の大蛇大龍の目に射た
矢が刺さり暴れまわっていた。一頭はこの地で死に血水跡はまるで
紅の河のようになって流れた。もう一頭は死に物狂いに山を突き
破り飛び出し、湖水は鼓を打つような音をたてて滝となって流れ出た。
龍はしばらく鼓ヶ瀧の滝壷の中で生きていたが大水害の度に鶯の森、
(川西市)天王宮と下流域に流されて行き、ついに昇天された。後に、
その地には12以上も鳥居の立ち並ぶ白龍神社が立され祀られることとなる。
湖沼の水は干きよく肥えた土地が残り、多くの田畑が出来ることと
なった。そのため 後に「多田」という地名が付けられる。村人等は
九頭龍の犠牲の御陰で田畑が拓かれた事を甚く感謝し、九頭龍大明神、
九頭龍大権現、白龍大神と崇め御祀りした。満仲は、この地に居城を築き、
多田源氏を名乗った。少なくとも1988年までは、上記の九頭龍が死んだ
場所として「九頭死(くずし)」という地名が残っていた。現在は
「寿久井の地蔵尊」という地名の付近。兵庫県川西市の九頭神社は
九つの霊石を御祀りして首から上の病に効く神として信仰され
頭痛歯痛眼の病等の平癒に効くと伝えられる最近は こっそりと
「頭の良くなるように」と祈る若者の御参りもあるという
-------------------------------------------
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます