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浪速夢見頃>日本の伝説(13)
♪九頭竜伝承③
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あらすじ
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阿蘇山 宝池の九頭龍神]九州・英彦山に伝え残されているこの文章は、奥付に
あたるところに「建保元年(1213年)癸酉七月八日九州肥前国 小城郡牛尾山
神宮寺法印権大僧都谷口坊慶舜」がある。この中でも、仏教的な九頭龍伝承が
語られている。大巌窟で千日の伏臥修行の後、諸法は皆 空である旨をその
石室で観じた。かの釈尊が菩提樹で悟ったように。その修めをもって臥験と
いう名となった臥験はやがて九州の肥後国は阿蘇の峰に登り山の嶺嶽をもって
法華経にある七宝の(塔の相を顕す)場所となっており、高い峯が四方に
広がる波羅蜜への)門の扉となって開き、そびえていることを理解した。
八功徳の水は池に清潔さをもって澄みわたり自ら五色の波をたて広がっていた
そのさざなみは四波羅蜜、三解脱門を備えており、奏で出されていた。
南山に落ちる夕日の光が湖池の浜を金色に染め上げ、銀色の砂が敷詰め
られる。樹木の間に間に花の色が重なり交わり、極楽浄土の如き荘厳さを
呈していた。般若宝珠なる信心堅固な至誠を捧げ、凡夫の決して見る
ことは出来ない この宝池の主に拝することを心から願い経を誦した。
法華経の第三巻目に達する前にまず鷹が現れた。しかし、「小鳥の王で
この宝池の主に相応しくない」と言って退けた更に俗人・僧侶・竜が
現れては、その一つ一つを池の主ではないと退けた。そして十一面観音が
現れ光明が赫々と輝くに至った。それでも池の主ではないと退け、
さらに経を唱え続けた臥験は半月にも及んで敢え無く見る物事が無かった
その時、修法に従事していた 池の中から声があって 臥験に告げ言う
「宝池において、主の正体を汝が拝む事あたわず。罪障が重いゆえなり」
と言う臥験は大いに激して言った。「我は是 三界を領有し治める知識や
学問を身につけた聖なる持明者である。悪魔降伏を信じて疑わない
八大童子が随う十二神将よ加護し給え第六天魔王をなお繋ぎ縛れ。
何者が余の状況を評してかように言うか。」と。臥験は経論章疏の要文を
誦し、秘密真言や神咒を唱え、邪も正も一如であると念を凝らし観じて
真俗二諦の法理を修める間 山は動き地は騒ぎ 四方は悉く長い夜の
闇の如くになった。そして、ついに九頭八面の大龍が出現するに至った
その龍は阿蘇の山のように高く嶺のように長く、それぞれの顔面には
三つの目が春の太陽のように出て、あるいは暁の星(金星)の如く
照り輝いていた。龍の口から吐かれる大炎は同じく迦楼羅焔の如く
照るのだったその身は虚空をうめて満ち満ちる程の巨大さだった
その気迫は大風の如く勢いをもっていた。龍に呑まれると思い、
法力を込めて持っている金剛杵を大龍の顔にある三つの眼をめがけて
打ち込んだ。すると、龍は姿を消し四方はあまねく晴れ渡った
臥験は、池の主に会う願いを達したと思い山を下りにかかる。すると、
蒼天 にわかにかき曇り、大雨となり、川は洪水と化した臥験は川を
渡れなくなったので、山中の他の道を探すことにした。ようやく
一軒の小屋が見つかったところ、そこには一人の若い女性がいる
のだった。臥験は、泊めてくれるよう頼むと快く承諾された
臥験が裸になって濡れた着物を乾かそうとしていると、その年若い女性は
裸の臥験に自分の着物を着せようとした。臥験は、修行の身にとって
女性は不浄であるからその着物は羽織れない旨を言い 彼女の好意を断った
すると、女性は怒って「仏様は慈悲平等の心を教えていて、浄、不浄などを
言いません」と言い、臥験が断るのを無理に着せようとした
そうこうしている間に臥験に欲心が起こった。まだ知らない男女の交わりを
試そうと女性を押さえつけた。女性は抵抗して、「まず口を吸って接吻して
下さい」と懇願した。しかし、臥験は「自分は日夜、口で秘密真言を
唱える身だからそれは出来ない」と言う。しかし、女性は「それでは
目的が達せられないでしょう」と言うので、しかたなく口を吸った途端
舌を噛み切られた。臥験は気絶してその場に倒れた女性は大竜となって
天に昇って行った。臥験が意識をとりもどして辺りを見ると、女性も家も
自分の舌までもなく、山中に独り取り残されていた臥験は犯した罪を悔い
不動明王に念じて「舌を元通りにならしめ給え」と一心に念じていると
一四~五歳くらいの童子が出て来て臥験の舌を撫でた。すると舌は
元通りとなり心身ともに安らかになったそのとき天空の高みより
声があった。「我は、汝が修法を施した事に対して、汝が妙に思うとも
種々の身に形を現した。(女性が汝の身体に良かれと思って衣をかけ
ようとしたのと同様に)真実の正しい身体というものには、極楽世界では
阿弥陀と言う衣を被っている。この娑婆世界では十一面観音という
衣を被っている。再び(阿蘇に)登り 重ねて御嶽を拝すべし
宝の身体(躰)を」と仰るのだった 臥験は、ただちに御岳に登る
また、天空より声がして言う。「汝の修法によって楽々示された
種々の身形を観ても、眼根・心根に障りがあるから本地を見抜くことが
出来ないのだ」と臥験は、その場に重ねて座し印を結び凝らして
ただ無性に懺悔の意を尽くした「霊峯の頂で十一面観自在尊が
千の葉の蓮花に坐し 自ずから放たれる大光明に臥験が照らされた
あの瞬間、かの光明は十方世界を遍く照らし、三十二相八十種好を
具足奉る金色相(こんじきそう)と一つとなり音楽・芸術・美を司る
畢婆迦羅の神の身体そのものとなっていた。先ず現れた鷹の身の
ことを言うと、是は霊山において会い法華経が説かれる時の同聞衆の
身形である。次に示された俗な身形を示した者、是は
健磐龍命(タケイワタツノミコト阿蘇大明神)なり。次に僧の
身形を示した者 是は比叡山座主良源(912年 - 985年)
次に現れた龍身は、この宝池の主として契りの無い池の大龍なり。
最後に現れた十一面観音が当山の峯に常に住まわれる本尊で、
大慈大悲の大御心で衆生に利益を与えんとする実体なり汝の眼に
罪障があるから実体を見ぬくことが出来なかったのだ。」
臥験は心から歓喜踊躍し礼の意を表して その場を去った。九頭の龍
から若い女性そして天空からの声として現れた此の大龍者こそ
法華経に説かれている同聞衆、娑伽羅龍王 阿那婆達多羅龍王
第三王子である。是すなわち十一面観音の化身である
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