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横浜商大高校野球部、その他横浜商大高校関連、アマチュア無線日記

日本丸

2011-05-15 16:44:00 | ノンジャンル
何年ぶりだろうか?私が帆を張った日本丸を見るのは。それを考えると小学生時以来、20数年ぶりであると推測できる。私が小学1年の頃、すなわち昭和59年に横浜の第一号ドック(重文)に来航したことは今でも覚えている。翌年に一般公開され、以来私が横浜駅に家族で買出しに行く際に総帆展帆日と重なった時には頻繁に見ていた記憶がある。だが、だんだんと横浜駅方面へ行く機会が休日に無くなってくると帆を張った日本丸を見る機会が無くなってしまった。そして、本日は総帆展帆日であると同時に商大高校吹奏楽部が演奏会を開くというので、私は日本丸を訪れることとなった。先ずは白帆すべてが広がった日本丸と対面した。普段見ている日本丸とは違って雄大な白帆の日本丸だ。次に商大吹奏楽部の演奏を私は前列で鑑賞した。吹奏楽部も野球応援には欠かせない存在で、本日は普段の野球応援とは違った雰囲気で楽しむことが出来た。演奏が終わった後、私はすぐにこれも数年ぶりに日本丸に乗船した。無線室には航海に欠かせないモールス信号を送信する縦振り電鍵を発見した。次に私は横浜みなと博物館へ入った。港湾労働の経験がある私にとってはとても身近に感じ、また港湾の仕事をしてみたいと感じた。
 港町ヨコハマ生まれの私。今回の日本丸メモリアルパーク訪問で、改めてこの港町を身近に感じることが出来た1日だった。

金網の向こう・・・・・・私の瞼の中にある風景

2011-05-05 21:37:00 | ノンジャンル
私は時々本牧の街を散歩をすることがあるが、その度に瞼の中で思い出す風景がある。それは私が幼少の頃の本牧の風景である。そして本日、これらの画像があるHPを発見したので皆様にご紹介する。

http://www5.ocn.ne.jp/~matida/(ギャラリー2「本牧グラフテイ」をご覧いただきたい)
http://www.flickr.com/photos/8595475@N03/
(すべてPCサイト)

かつて終戦直後から昭和57年まで、本牧の街は米海軍住宅地が広がっており、金網の向こうはアメリカ映画に出てきそうな風景、すなわち「アメリカ一色」であった。私自身も幼いながらこの光景は目にしており、当時は奇妙に見えていた記憶がある。だが、今ではかっこよかった、素晴らしかった等と良く思えるようになった。毎年10月末になればハロウィンに合わせ本牧では「かぼちゃ祭」か開催されるが、それはその名残である。現在では本牧山頂公園や住宅地、マンション等がある。だが、そんな昔の風景はこれからも瞼に留めておきたいと思う。