私の歩く旅 

歴史の背景にある話題やロマンを求めて、歩く旅に凝っています。ねこや家族のこともちょこっと。

佃島、石川島、築地 2 “Let the work go on.”

2012年08月04日 | 旧居留地

佃島、石川島を一回りして、佃大橋を渡り築地に入りました。




築地(中央区明石町)は明治時代、外国人居留地のあったところです。
築地居留地の特徴は宣教師と学校発祥の地、ではないでしょうか。
たくさんの学校がこの地で宣教師によって創設されました。

中央区教育委員会の説明によると




築地居留地跡
所在地 中央区明石町地域
江戸幕府は安政五年(一八五八)に欧米五カ国と修好通商条約を結び、
横浜・神戸など五港の開港と江戸・大阪の開市を取り決めました。
居留地は開港・開市の土地に設けられた条約締結国の外国人の居住や通商のための専用特別区でした。
江戸(東京)の開市は明治元年(一八六八)、明治政府になってからで、
この条約に基づいて現在の明石町地域を築地居留地と定めました。
築地居留地は商館の多かった横浜や神戸などとは異なり、外国公使館や領事館をはじめ、
海外からの宣教師・医師・教師などの知識人が居住し教会や学校などを数多く開いて教育を行ったため、
築地居留地は日本の近代化に大きな影響を与えた一地域を形成していました。
(略)
平成十五年三月
中央区教育委員会




築地の居留地には教会関係者や学校関係者が多く集まったようです。
例えば、聖路加国際病院は現在の築地でとても有名ですが、明治33年(1900年)に来日したアメリカ聖公会の医療宣教師
R・B・トイスラーが創立した病院です。

トイスラー先生は若くて(来日時24歳)長身でハンサム、今で言う「イケメン」ドクターだったようです。
冒険心と好奇心に富み、(それでなくては日本に来られません)
非常にてきぱきとした性格であったそうですが、一方で激しやすく短気な熱血漢、
いったん目標を定めたら一途に邁進するタイプ、だったそうです。

彼は医療宣教に邁進しました。
日本やアメリカで寄付金を集め、病院の他に看護学校を明治37年に発足させます。
その後隅田川沿いに4000坪の土地を購入します。

しかし、関東大震災で病院や学校は崩壊。
アメリカの赤十字本社やロックフェラー財団、アメリカ聖公会に復興の支援を求めました。
トイスラー先生の前へ前へと突進する活動により
2年後、ロックフェラー財団より40万ドルの援助を得ることができました。

医療伝道一筋に進んだトイスラー先生ですが、58歳の時に急逝します。
彼の臨終の時のことばが “Let the work go on.” だったそうです。
どんなふうに訳すか、それは読んだ人に任せられていますが、、、、。
トイスラー先生の意思、決意、目的、をよく表している感動的なことばですね。

⬇はトイスラー先生を記念して作られたトイスラー記念館。





トイスラー記念館の玄関にあるプレート⬇








さて、築地はその他にも、関東学院(以前のベンネット先生の記事を参照してください)⬇



慶応大学⬇






女子学院⬇




立教女学院⬇



立教学校⬇




などが生まれた街です。


佃島、石川島とは全く異なる外国人居留地があった
西洋文化を脈々と伝える街だということが、歩いてみるとよくわかります。



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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
水路の両岸で (ジェスロ)
2012-08-06 07:36:15
江戸文化の名残りとミッションスクールの発祥の地ですか(^^)
江戸っ子のクリスチャンの僕には、いずれも懐かしい感じがします( ̄▽ ̄)
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