名古屋市の観光ミニバス「メーグル」に乗って、名古屋市市政資料館に向かいました。
落ち着いた静かな街並の一画が公園になっており、その中にドーンと
名古屋市市政資料館の煉瓦作りの建物が視界いっぱいに広がっています。
素晴らしい建築で、もちろん国の重要文化財に指定されています。
赤煉瓦作りの建物、何かどこかで見たことがあるような、、、。
資料によると、もともとここは名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所でした。
名古屋の司法の中心だったのです。
市政資料館は
「煉瓦造及び鉄筋コンクリート3階建の洋風建築で、
煉瓦積みの壁に白い花崗岩の外壁を持つ。屋根小屋組は木造。
内部の中央階段室はステンドグラスの窓や漆喰塗り・マーブル塗りによる仕上げが施された
「ネオ・バロック様式」を基調とする。
設計は司法省営繕課(工事監督)で、山下啓次郎(工事計画総推主任:司法技師
(参考:山下啓次郎はジャズピアニスト山下洋輔氏の祖父))
及び金刺森太郎(設計監督工事主任:司法技師)が担当した。
煉瓦造としては最末期の大規模近代建築であり、
現存する控訴院庁舎としては最古のものということもあって1984年5月21日に重要文化財の指定を受けた。
日本全国に8つ建設された控訴院の建物のうち、現存するのは名古屋と札幌のみである。
とあります。
設計者の山下啓次郎を調べてみました。
鹿児島県の薩摩藩士山下房親の次男として1867年(慶応3年)に生まれた啓次郎は
1876年(明治9年)上京して
第一高等中学校を経て帝国大学工科大学(現・東京大学工学部)へ進み、辰野金吾のもとで、建築を学びました。
何となくどこかでこんな感じ見たな~、と考えていたら、「東京駅」に雰囲気が似ているような、、、。
そうなんです、啓次郎の先生は東京駅を設計した辰野金吾だったのです。
辰野金吾は日本の近代建築に大きな影響を与えたお雇い外国人、ジョサイア・コンドルの弟子です。
辰野金吾はがっちりとした建物を造り、辰野「堅固」とあだ名されていたくらいです。
(ブログの過去記事に「プリンセストヨトミと辰野金吾」、「ジョサイア・コンドル」
について書いたものがあります)
その後、啓次郎は警視庁へ入庁、1897年(明治30年)司法省に移り営繕を担当します。
1901年(明治34年)欧米の監獄を視察し、翌年帰国しました。
この市政資料館を除くと啓次郎の主な作品は「監獄」です。
さすが、辰野「堅固」の弟子ですね。
しかし、建物の中は華麗です。
NHKの「坂の上の雲」の撮影でも使われたそうです。
私が入ったのは閉館まじかの午後4時20分。(午後5時閉館)
他に人は誰もいない、贅沢な見学になりました。
この建物は名古屋城や犬山城に匹敵する名古屋の宝物ですね~。
本当に足を踏み入れた瞬間から、時を越えてしまったような気持ちになります。
短くても、本当にいい時間を過ごしました。
旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所(1922年、名古屋市東区、現名古屋市市政資料館、国の重要文化財)
にほんブログ村
にほんブログ村
参考資料
http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/52-7-0-0-0-0-0-0-0-0.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/名古屋市市政資料館