郡山の旅、後半です。
今回は金曜日の夕方、東京を発ち、夜郡山着(青春18きっぷですから)
土曜日の午前中、郡山の開成館、市公会堂、そして
日本基督教団郡山細沼教会を訪ねました。
細沼教会の
塔屋部分は3階建て、地域にとけ込んで素敵な景観を見せています。
クリストファ・ノッス宣教師を工事主として昭和4(1929)年に建てられた礼拝堂。
会堂内のステンドグラスは1958年、
イタリアのミラノの工房でサンテ・ピツオール氏が制作したものです。
写真ではあまり写りがよくありませんが、光を十分に取り込んだ美しいステンドグラスです。
会堂の設計者は不明ですが同一教区内の建物設計は同一人物に任せるのが慣例で、
県内の日本基督教団の教会を担当したのがヴォーリズであった事からこの建物も彼の設計である可能性があるそうです。
平成14年に国登録有形文化財に指定されました。
歩く旅、郡山では12キロを歩きましたが、歩いたからこそ見える街並と建物があり、楽しかったです。
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郡山を歩きました。
写真は郡山市公会堂です。
郡山市は1924(大正13)年9月1日に、全国で99番目に市政を施行しましたが、
同年、これを記念して郡山市公会堂も完成しました。
会堂の構造は、鉄筋コンクリート造2階建、銅板葺、建築面積1,102㎡で塔屋付きです。
公会堂の建築的特徴は、連続半円アーチの柱廊と、窓台受、上げ下げ連窓などを丁寧にデザインし、
全体のバランスや細かな意匠、色彩など見所の多い洋風建築で、
平成14年に国登録有形文化財に指定されています。
現在は休館中。
福島原発事故で、この辺りは最も放射能汚染のひどかった地域です。
辺り一帯は除染中でした。
福島の歴史的建造物は地震と放射能で壊滅的な被害を受けたように思います。4月6日
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新しい一年が始まって、私の身の上にもいろいろな変化が出てきています。
昨年4月から仕事を一切やめ、休養に入りました。
今考えれば、一生で一番ゆっくりと時間が流れた1年だったような気がします。
旅行もたくさんしました。
旧居留地を尋ねて、長崎から函館まで回りました。
どこも素敵でしたけれど、
今日はその中からアントニン・レーモンドが建てた建物を探訪してみたいと思います。
アントニン・レーモンドはチェコ生まれの建築家ですが、大学を卒業するとアメリカに移住します。
そこで、アメリカ人建築家 F.ロイドと出会い
ロイドが設計した帝国ホテル建設のため、いっしょに来日します。
その後、レーモンドは日本各地にたくさんの優れた建築を残し、
現在では「日本の現代建築の父』と呼ばれています。
さて、下の写真は昨年、横浜居留地を訪ねた時の写真で、レーモンドが設計した
エリスマン邸です。
萌葱色の可愛い外観です。
大正14年から15年にかけて建設されたもので、当時は和館付の洋館でした。
サンルームも窓が大きくて光がいっぱい入ってきます。⬇
実は最近、所用でよく行く聖路加国際病院もレーモンドの設計でした。
ただ、あまりにも装飾が少な過ぎると、途中で解雇され、立教女学院のチャペルを設計したバーがミニーに
引き継がれたのだそうです。
さて、来年度お世話になる東京女子大学の歴史的建造物もレーモンドの作品です。
東京女子大学と言えば、初代学長はあの500円札に肖像画が使われた新渡戸稲造です。
写真は本館で“QUAECUNQUE SUNT VERA”(すべて真実なこと)と壁に刻まれています。
いつ見ても美しい建物です。
大学内には7つの歴史的建造物が建てられています。
下記の写真、ライシャワー館もそのひとつです。
この通路も素敵ですよね。
秋はこんな感じです。⬇
さて、有形文化財に指定されなかったレーモンドの建物は取り壊され、新しい校舎に変わりました。
卒業生や職員によって保存する会が設立されたようですが、残念ながら取り壊されてしまいました。
そのとき、東京女子大学の卒業生、作家の永井路子さんが残したことばが下記です。
歴史的建造物の保存に対して、本質を問うものだと思います。
ホンモノは、「残さないでよかった」ことは一度もなく、
「残してよかった」か「残せばよかった」しかない
── 永井路子
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