私の歩く旅 

歴史の背景にある話題やロマンを求めて、歩く旅に凝っています。ねこや家族のこともちょこっと。

小泉八雲~明治日本の面影

2012年09月10日 | 旅日記

8月の長崎居留地の記事もまだまだなのに、
現在、列車で日光ー函館ー小樽ー札幌ー弘前の旅の車中です。

青森から北海道への海底トンネルを出た後、
函館から札幌へ向かう海岸線、札幌から小樽への線路沿いの海、
どこまでも空の色を映していて、青く深く、何とも素敵です。

長い列車移動の中で読んでいるのは
明治政府のお雇い外国人、
ラフカディオ・ハーンの名作選集「明治日本の面影」、
小泉八雲の名前で出版されました。

この本の中で、八雲の「もの」を観察する目の鋭さ、
多面的な分析、言葉の使い方には感心してしまいます。
また、人を差別することの愚かさを説いています。
特に最初の短編、「英語教師の日記から」には明治23年1890年から
出雲(島根県)の松江の尋常中学と師範学校にお雇い外国人として1年間雇われた
日々が綴られていて、現代と比べると興味深いです。

自分は日本語が何もわからないのに
学校で教えることがとても愉快で楽しい仕事だと書かれています。

「近代日本の教育制度の下では、すべての教育は親切と優しさを旨としておこなわれている。
教師は字義通り教師teacherであって、英語の支配関係のmasterではない。
生徒に対して兄の関係なのである。
教師は自分の意思を生徒に押し付けようとはしない。
叱責することはなく、批判することもあまりなく、罰することもまずしない。
(略)
西洋では規律が必要と考えられているが、
日本の生徒はそれとは反する自立を要求しそれを享受している.。
公立の学校はどれもこれも熱気に満ちた小共和国で、
実際問題として、教師がその地位を確保できるのは教師の能力と、品性が
生徒に支持された時だけである。」

八雲は日本の学校にはお金持ちの子供も貧乏な子供もいるが、皆が助け合って
勉強に励み、勉強をすることに喜びを感じている、というような感んそうも述べています。
現代の学校とは何か違っているような気がしますね。

生徒たちはかわるがわる八雲の家に遊びにきて、会話を楽しんだり、
八雲の興味のあるその土地に伝わる物語や絵、伝統工芸の品などを見せてくれます。


ハーンはギリシア生まれで、アイルランド人の父とギリシア人の母の
間に生まれます。その後、アイルランドに移り住みますが、
幼い時に母は精神を病みギリシアに帰国。
父は単身赴任中であり、母とは離婚、すぐに再婚したので、
実の両親とはほとんど会えずに大叔母に育てられます。
フランスやイギリスで学びますが、16歳の時に学校で遊んでいて右目を失明。
叔母の破産や父の死もあり、20歳の時にアメリカに渡ります。

不遇な少年時代だったように思えます。
彼は神学校で学んだこともありますが、すぐに退学してしまいます。
ファーストネームは実はパトリック、
パトリック・ラフカディオ・ハーンというのですが、キリスト教に懐疑的であり
聖パトリックにちなんだファーストネームを嫌ったと言います。

彼は流暢に話せたフランス語を武器に20台前半からジャーナリストとして
アメリカで活躍します。
最初の結婚は、黒人女性とでした。
彼はそれで会社を結果的には辞めることになります。
まだまだ人種差別に厳しい社会だったのですね。
しかもその結婚は1年しか持ちませんでした。1877年のことです。

その後、彼はニューオーリンズに行き、ニューオーリンズ万博の時、
日本の農商務省の服部一三と出会います。
1890年、ハーンは女性ジャーナリスト、エリザベス・ビスランドの話を聞き、
日本という国に非常な興味を覚え、その年の4月にはアメリカの雑誌社の特派員として
早くも日本の横浜につきます。
そして7月には服部一三の紹介で松江の学校に
英語教師として赴任することになったのです。
生まれて初めての教師生活です。

ある時、一人の生徒がハーンのところにきて、言いました。
「先生は、前の先生と違います。」
「どういう風に違いますか。」
「前の先生は私たちのことを野蛮人だ、と言いました。」
「それはなぜですか?」
「ゴッド、といっても、その先生のゴッドですが、、そのキリスト教の神様以外に貴ぶべきものはなく
卑俗で無知な者だけが、それ以外のものを尊敬するのだと言いました。」

「その先生はどの国からきた人ですか?」
「牧師で英国臣民であるといっていました。(略)
ヘルン先生はこのことについてどう思われますか?」
「それは、君、その先生こそが野蛮人なのです。卑俗で無知で野蛮人なのです。
君のためにも祖国のためにも、君が先ほど述べたような悪意のある低俗な言葉を聞いたなら、
その人がどの国の誰であろうと、それに対して義憤を発することが君の義務です。」

ハーンはジャーナリストですから、その国の慣習、人々の文化を貴ぶべきことと心得ていたのですね。
あ、それから、ハーンは「ヘルン」と生徒や周りの人から呼ばれていて、
その名を気に入っていたようです。

さて、この「明治日本の面影」は文庫版で500ページのものですが、
怖いお化けのお話だけではなく、
ハーンの日記や随筆が収められており、題名通り
明治日本のある一面を知るにはとても素晴らしい教本だと思います。


今は帰りの新幹線の中です。
さすがに5日の旅行はきつかったです。
でも、自分のテーマに沿った旅がでたし、ハーンの本も読めてとても満足です。






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