私の歩く旅 

歴史の背景にある話題やロマンを求めて、歩く旅に凝っています。ねこや家族のこともちょこっと。

長崎チャンポンで始まる居留地の旅

2012年08月29日 | 旧居留地


長崎チャンポンは東京にもあります。
チェーン店が有名ですが、時々食べるとおいしな~、とおもうのです。
これが本場の長崎だったら、どんな味なのでしょうか?

今回は所用で長崎市、温泉と小浜チャンポンで有名な雲仙市小浜に行きました。
こんなチャンスはない、と所用とは別に1日プラスして旧長崎居留地を歩きました。

長崎に着いて一日目の夕食は中華街での長崎チャンポンです。
おいしかった~!



太麺で、歯ごたえがあります。
具もたくさんチャンポンではいっていました。


さて、そのまずは長崎チャンポンのチャンポンの由来ですが、
http://www.mirokuya.co.jp/chanpon/history_chanpon.html 「みろくや」さんのホームページから


>>ちゃんぽん(チャンポン)・皿うどんは、深い関わりのあった中国の影響を受けて
長崎が生み出した日中混合の庶民の味として、名物のひとつとなっています。
ちゃんぽん(チャンポン)の語源には諸説あります。

中国、福建省の方言で簡単な御飯の意味の、喰飯(シャンポン)がなまったもの。
ポルトガル語の「チャンポン(混ぜる・混合するの意味)」がなまったもの。
当時の中国人の呼び方である「チャン」と日本人の「ポン」を取ってチャン+ポンと名付けた。



語源諸説から考えても、様々な文化の影響を受けた長崎らしい食べ物ですよね。

⬇の写真は小浜市の小浜チャンポン。
お寿司とセットです。




小さな街ですが、海岸沿いの温泉とチャンポンで有名になったそうです。
ついでに、大好きな魚のアラ煮を頼みました。
東京の3倍の量で値段は630円でした。



一人には多すぎでしたけど、完食ヽ(´o`;

下は温泉。贅沢にも一人で貸し切り屋上露天風呂です。



この日はお風呂も食事も満足して、ゆったり気分。
次の日の所用をこなして、
旧長崎居留地のたびの始まりです。

生まれて初めての九州は、なぜか鎖国時代から出島があり、
明治前後、外国人の居留地であった長崎でした。

嬉しかったです。




にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へにほんブログ村


にほんブログ村 美術ブログ 建築・建築物へにほんブログ村









ヴォーリズと中華料理~京都

2012年08月27日 | 近代の歴史的建造物


京都にヴォーリズの作った建物がある、と聞いて、
京都旅行の最後にそこを訪ねました。

ヴォーリズについては過去ブログの
「近江八幡とヴォーリズ1」
http://blog.goo.ne.jp/yoshimotokeiko/e/44e252496161961e665eb0fc46b3a777 
を参考にしてください。

ヴォーリズは日本各地に「使う人に優しい建物」を建てた
宣教師で建築家であった人です。

京都・ヴォーリズ・中華料理、という組み合わせは何だかしっくりしない感じがしますが、
京都四条大橋、鴨川べりにある『東華菜館』はスペインバロック様式の立派な建物です。
もともとは西洋料理の「矢尾政」というレストランだった、と聞けば
「あ~、なるほど」と思えます。
竣工は大正15年だそうです。




正面玄関も堂々とした中に様々な装飾が施されています。






簡素な感じの設計の多いヴォーリズにしては珍しい感じがします。

高級感のある中華レストランです。
ここでコース料理を食べるには、懐とかなり相談しなくちゃならないみたいです。




にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へにほんブログ村


にほんブログ村 美術ブログ 建築・建築物へにほんブログ村


一日で京都をかなり歩きました。
京都駅ー三条通―平安女学院―聖アグネス教会―京都御所―同志社大学
長楽館―東華菜館―京都駅

どっと疲れて、その日は次の日の所用の準備もせず、あっという間にホテルのベットで
寝てしまいました。

けっこういい夢を見られました。




築地居留地から発信された近代文化

2012年08月27日 | 旧居留地


築地居留地研究会の定例会に参加させていただきました。
築地居留地は
少し前の記事「佃島、石川島、築地2」
http://blog.goo.ne.jp/yoshimotokeiko/e/b57a25a58451b8c078ccbc78c36725c9
を参照していただけると嬉しいのですが、
今回、改めて、近代文化における築地居留地の重要性を認識しました。

ひとりでこつこつと居留地を訪ねて、その地の歴史や文化に触れる旅を続けて
来ましたが、やはり、他の方達とのネットワークの中で
今まで知らなかった新しいことを知る、それが大切だと思いました。

安政6年(1859年)江戸幕府は函館、横浜、長崎の港を開港し
外国人居留地ができました。
しかし、その後明治維新の動乱などで、江戸(東京)は
明治政府になって、明治元年、やっと築地居留地ができたのです。

明治時代になって東京に天皇陛下が移っていらっしゃいました。
明治時代の政治も東京が中心になりました。
(首都東京とはよく言いますが、首都の定義は未だ不確定なようです)
築地居留地は東京にある唯一の外国人居留地で
ここからも文明開化の大きな波が発せられたのです。



特に、女子学院、立教学校、立教女学院、学校がこの地を発祥とし、







聖路加国際病院も建設されました。



トイスラー記念館⬆⬇



外国の宣教師の団体が13もここに拠点を置いたということです。
文化や教育の面での中心地だったのですね。
とにかく外国の技術者や教育者も、まずはこの地に住んでいたのです。



ところで築地居留地研究会ですが、
築地居留地に関する研究会誌をすでに4巻まで発行し
居留地研究に大きな足跡を残しています。
居留地研究会の事務局長にお聞きしましたが、
現在、NPO築地居留地研究会の会員を募集中ということです。
東京の明治前後の歴史に興味のある方、ぜひ一度
毎月第4土曜日のランチミーティング(お昼の12時から2時ごろまで)に
参加してみませんか?
中央区明石町1-7の喫茶室アラジンで行われています。
(中央区立明石小学校や聖路加国際病院のすぐそばです)
すごく雰囲気のいい、気軽に参加できるミーティングです。

築地居留地委員会はNPO法人で中央区のホームページにも載っている
歴史ある団体です。

ランチミーティング、定例会などへのお試し参加も歓迎だそうです。
参加希望の方は
電話&FAX 03-3546-5054の築地居留地研究会事務局に
ご一報ください。

ちなみに、個人会員の場合入会金は1000円、年会費は3000円です。
詳しくは事務局の方へお問い合わせください。

さて、今日はPRの記事になってしまいましたが、
ランチミーティングの当日、私は聖路加国際病院のチャペルに案内して
いただくチャンスがありました。
(素晴らしい生の解説付です)

写真は細部にまでこだわったチャペルに入る階段横の照明。
聖路加国際病院の創設者トイスラー先生の遺骨の眠る手前のものです。



参考文献
第3回外国人居留地研究会全国大会in東京2010
「近代文化発祥の地 築地居留地」
NPO法人築地居留地研究会代表清水正雄
「築地居留地概要」p2~3




にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へにほんブログ村


にほんブログ村 美術ブログ 建築・建築物へにほんブログ村











大河「八重の桜」を通り抜ける~同志社大学

2012年08月26日 | 近代の歴史的建造物

京都の同志社大学の資料館を訪ね、パンフレットなどをいただきました。

絵はがきセット、
2013年大河ドラマ「八重の桜」記念「新島八重と同志社』アニメ版のパンフ
同志社女子大学編集の「新島八重の生涯」
新島襄と八重が暮らした「新島旧邸」パンフレット
アメリカン・ボード設立200周年記念「まかれた種―神戸女学院と同志社」
「目的の大なる人物を」創世記の学生たち
京都の中の同志社―相克時、調停と明治の近代化
同志社の文化財建築物

などです。
絵葉書セットまでいただけるなんて、大盤振る舞いですね。

同志社大学歴史的建造物そのものもNHKの大河ドラマ「八重の桜」の重要な舞台となるので、
改修の真最中でした。
全国の大学の入試関係者にしてみれば、羨ましい限りではないでしょうか。
同志社大学の創立と歴史的なエピソードが大河ドラマで表現されるわけですから。

今回、新島八重は綾瀬はるかさんが演じるそうですが、実際の新島八重は
ちょっといめーじがちがうようです。
実は2009年に日本テレビで
放映された「会津藩の女たち」で八重を演じた森三中の大島みゆきさんに
雰囲気が似ているということです。
勝ち気でがんばりや、たくましい女性だった八重を新島襄は
「ハンサム・ウーマン」と呼んでいます。
これは、新島襄がアメリカにいる義母ハーディー夫人に送った手紙の中に
「彼女は決して美人ではありません。
しかし私が彼女について知っているのは美しい行いをする人(ハンサムウーマン)
だということです。私はそれで十分です。」
と記されているからです。

会津藩士の娘、八重とクリスチャンで函館から密出国し、アメリカで勉強して戻った
新島襄(同志社の創設者)については、同志社女子大学編の「新島八重の生涯」で
かなりの情報を得ましたが、それはまた次回、ということで、今回は建物について。

同志社大学の中は重要文化財と有形文化財でいっぱいです。
⬇1884年(明治17)年竣工で重要文化財の彰栄館
れんが造りでは、京都最古の建物です。





設計はアメリカンボード(1810年設立のアメリカ最古の海外伝道団体)の
日本への最初の宣教師で、同志社の理事、教育者でもあった
D.C.グリーンです。






⬇は礼拝堂。やはり、D.C.グリーンの設計です。
三角に尖った切妻屋根がとくちょうです。
生い茂る大樹がこのチャペルの歴史を感じさせます。
1886年(明治19年)竣工、重要文化財に指定されています。





⬇はハリス理工学館
設計は平安女学院の明治館を設計したハンセルです。
1890年(明治23年)竣工、重要文化財です。




他にもクラーク記念館(重要指定文化財)
有終館(重要指定文化財)
アーモスト館(登録有形文化財)など、美しい建物があります。

今回は時間の関係でちょこっと通り過ぎた感じですが、
次回はじっくり時間をかけて同志社大学の建物をみてみたいものです。



にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へにほんブログ村


にほんブログ村 美術ブログ 建築・建築物へにほんブログ村








華麗なる長楽館~ちょっとだけ古い京都 4

2012年08月20日 | 近代の歴史的建造物


所用で行った京都。
空き時間に京都を歩きました。

⬇の写真は立教学校の初代校長だったガーディナーの設計した聖アグネス教会。
1898年竣工です。
もともとは平安女学院の聖堂だったということです。



京都市指定の歴史的建造物です。




ガーディナーはアメリカ聖公会の宣教師として日本に派遣されましたが、
もともと建築を勉強していた人で、日本各地にたくさんの歴史的建造物を残しています。
特に学校建築や教会の建築が多いようですが、個人の邸宅も設計しています。
京都にはもう1つ、有名な建物があります。


それが最初の写真、京都「長楽館」です。
長楽館はもともとタバコ王と言われた村井吉兵衛の別荘として
明治37年(1904年)に建てられたガーディナー設計の煉瓦作りの建築です。
大正4年(1915年)には、外装をガーディナーが担当し、
3階を和室に改造しています。

その後、売却などを経て、1960年レディースホテルとして再スタート。
その時に泊まっていれば、かなりお得な料金で宿泊できたのですが、、、、、。
1986年に京都市の指定有形文化財として登録され、
2008年、(高級)ホテルとしてリニューアル。
ちょっと泊まるには勇気のいる宿泊料となってしまいました。
そして2009年には 長楽館築100周年を迎えたそうです。


泊まることはできないので、カフェによってみました。



珈琲ゼリーとアイスクリーム。
そこに熱くて濃い珈琲をかけていただきます。
1000円なり。




内装も素敵です。






⬆長楽館についての説明がテーブルごとに置いてありました。






⬆玄関をカフェから眺めたところ。


シャンデリア⬇



⬆なんと、トイレの中のシャンデリアです。


玄関の見事な装飾⬇




長楽館の場所は京都の円山公園の中。
八坂神社では、こんな京都らしい一コマを目撃。
ラッキーでした。





参考資料
http://www.chourakukan.co.jp/ 長楽館ホームページ



にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へにほんブログ村


にほんブログ村 美術ブログ 建築・建築物へにほんブログ村