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鎌倉近国を歩く24 小田原入生田の紹太寺

2017-06-21 08:39:17 | Weblog
鎌倉の近国を歩く 24 
             小田原入生田の紹太寺



                    (写真はクリックして見てください)  

 小田原藩主二代稲葉正則が春日局と父母の冥福を祈るため、京都宇治の万福寺から鉄牛
和尚を招き創建したといわれる紹太寺(しょうたいじ)を訪ねてみました。

歩く:小田原駅 箱根登山鉄道の入生田(いりゅうだ)駅下車 徒歩10分 

 案内書に「春日局(かすがのつぼね)と稲葉一族の墓所。寛文9年(1669)に開かれ、盛時
には寺域が東西約1.6km、南北1.1kmにもおよび、総門の左右には清雲院など五つの子院
が立ち並んでいた。360の石段を上りきった高台には本堂をはじめ、書院・齊堂経堂・
鐘鼓楼・稲葉氏霊屋・地蔵堂・庫裏など多数の伽藍が配置されていた」とあります。

 建物のほとんどは安政年間(1854~60)の火災で焼失し、残った総門も大正4年(1915)
に消失したそうです。今は広大な境内地に長い石段と稲葉一族の墓所が残るばかりです。
墓所は修復中で、案内書に「春日局の供養塔を中心に、左右に一族の墓塔が立っている」
とあり、そのように復元されるのでしょう。

 静かな旧東海道から寺域にはいると、紹太寺の寺号を継いだ清雲院の質素な建物があり
ました。石畳を歩き石段を上ると、広いミカン畠の道にそって小田原市教育委員会の説明
看板があちこちに立っていました。

 美しく茂った樹林の中の道を、案内の表示にそって進みました。「鉄牛和尚寿塔附近の
樹は幕末の火災からまぬがれたため聖域としてそのまま残され、神奈川県下でも残存自然林
として貴重なものです」とあります。

 さらに進むと樹林が開けて、「枝垂桜」の前に出ました。「本州中部以西に生えるエド
ヒガンの変種で枝が垂れさがる点が特徴です。県下にも比類のない銘木です。稲葉氏が
紹太寺を建立したとき、その境内に植えられたもので、樹齢330年以上と推定されます」
とありました。

 稲葉氏について歴史事典に、「寛永9年(1632)稲葉正勝が小田原領に入部、役高8万
5千石。ほかに駿河に2郡を領した。正勝の母が春日局。稲葉氏は5代正知のとき淀藩
10万2千石に移った(1723)。大阪城代、寺社奉行、老中など要職を務め、明治を迎えた」
とありました。

 春日局は三代将軍徳川家光が誕生して乳母となりました。父の二代将軍秀忠と母のお江
(浅井氏)は弟の忠長を偏愛しました。家光はあまり健康でなく、表情がにぶくて可愛げの
ない子だったようです。局は心配して駿府(静岡市)に行き、大御所・家康に訴えました。
家康は江戸に出て、家光が秀忠の跡継ぎであることを皆にはっきりさせました。

 局は家光の健康を神仏に祈り、薬断ちを誓いました。病に伏したとき、見舞った家光が
いくら薬をすすめても飲もうとしませんでした。一侍女でありながら、京に上り天皇に謁
して春日の称号を賜りました。局の娘婿・堀田正吉は旗本となりました。正吉の子・堀田
正盛は老中となり家光側近随一の重臣となりました。そして家光に殉死しました。

 江戸に参勤する大名たちが東海道を通るとき、紹太寺門前で駕籠から出て拝礼したとい
われます。

 鎌倉の豪壮な建物や多くの遺物を有する寺社も結構ですが、何もない広大な紹太寺跡も
いいものです。健康維持でウオーキングさかれてる方にお奨めしたいところです。



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