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鎌倉の近国を歩く 19  伊豆山神社

2015-04-08 08:47:41 | Weblog
鎌倉の近国を歩く 19 
              伊豆山神社


                      写真はクリックして見てください。


 源頼朝と妻・政子との関係が深い、伊豆山神社を訪ねました。

 歩く:JR熱海駅下車 七尾行きバスで伊豆山神社前下車
    熱海駅から東に歩いて30分くらいです。

 山の急斜面に百数十段の階段があります。階段を登りきると、社域が広がっています。
伊豆山神社は朝廷の崇敬が厚く、俗世の権力が不入の地でした。今は参詣人の姿が少なく
静かですが、かっては東国各地から湯治に来た人の参詣でにぎわっていたのでしょう。

 政子は気丈夫な女だったようです。政子の父・北条時政は流人・頼朝を嫌い伊豆目代・
山木兼隆との婚儀を進めました。政子は伊豆韮山から「暗夜に迷い、深雨を凌ぎ君の所」
(吾妻鏡)に逃れました。頼朝が待っていたのは、伊豆山神社でした。

 頼朝は伊豆に流されてから、伊豆山神社を深く信仰していたのでしょう。治承4年(1180)
8月平氏追討の令旨を受けて、師と仰ぐ伊豆山神社の住侶・文陽坊覚淵に挙兵の決心を打
ち明け祈祷を頼みました。

 政子も「伊豆山の法音と号する尼の御経師」の指導を受けていました。頼朝挙兵のとき
娘の大姫と共に「伊豆山神社に留り君の存亡に魂を消す」とあります。石橋山合戦の敗報
が届き、泣き崩れたのでしょう。

 神社資料館に政子が頼朝の菩提を弔うため自らの頭髪で縫いあげた「頭髪曼荼羅」が納
められてます。今の科学なら、頭髪からDNAや血液型はもちろん性格推定まで可能でしょう。
父親にそむいて大雨の降る暗夜の山路を辿る政子、頼朝が愛人を囲った小坪の家をぶち壊さ
せた政子、彼女の血液型を知りたいものです。

 伊豆国は歴史事典に「古代、京を去ること770里で遠流の国の一つとされ、役小角、
氷川川継、伴善男、僧連茂、源為朝、源頼朝などが配流された。伊豆は湯出づがなまった
といわれる」とあります。彼らは伊豆神社に参拝して、京に帰れるよう祈ったのでしょう。

 階段の最上階から太平洋を眺めると、空中に浮遊しているような気持ちになります。
役小角(えんのおぬ)は神通力で空を飛ぶことができました。小川で大根を洗っている娘
の白い内腿をみて、むらむらとして神通力を失い墜落して役人に捕まったというお話。
雲に乗り空を飛ぶ話が生まれそうな景色です。

 観応2年(1351)足利尊氏と弟の直義が薩捶山(静岡市)で戦いました。尊氏は宇都宮氏
らの支援を受けて直義軍を破りました。直義は伊豆神社に逃れ、戦意を喪失して空をぼん
やりと眺めていました。朝廷政治に翻弄されて仲のよかった兄と戦うことになったのが、
不思議な気持ちだったのでしょう。尊氏と直義は一歳違いの年子。

 尊氏は直義を迎えに登ってきて、「一緒に鎌倉へ帰ろう」と声をかけました。直義は
翌年に鎌倉で死去、享年46。太平記には「毒殺という噂がある」と記されています。

 海と山と静かな神域。歴史とエピソードを秘めた伊豆山神社の参拝をお奨めします。



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