喜寿から始まる

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日本の医療体制に不安について思うことーロシア野党指導者ベルリン搬送に関して

2020年08月23日 | 写真・絵日記

猛暑にも慣れてきた。
コロナが原因で季節感を喪失していたという残暑見舞いをもらった。
今年は異常が日常である。

世論調査によると国民の62%が日本の医療体制に不安をもっている。ここ
コロナのパンデミックで日本の医療体制の周回遅れがわかっている。
日本は世界1、2の長寿国であり、国民皆保険で医療制度は充実しているはずではなかったのか?

長生きがいいわけじゃない。健康で生きがいのある人生でなければ意味はない。
私は健康な方であり、しかも医者・薬嫌いなので、やむを得ないとき以外、医者や薬の世話にならない。
したがって、薬の効き目は抜群である。処方された薬は大抵1回飲むだけで治ってしまう。
日本の医療制度の実態のことはほとんど知らない。
(健康に無関心というわけではない。体調の異常にはどちらかというと敏感である。ちょっと熱があるとすぐわかる。
体温計はいつも手元にある。喉がおかしいとすぐうがいをする。塩水で。つまり、非常に原始的である。)

日本の医療制度は、ぬるま湯で、過剰治療ではないかと、疑っている。
異常な事態を想定していないのではないかということ。平和憲法の下、戦争を想定していないのと同様。
だから、パンデミックのようなことが起こると、想定外なので、右往左往するだけで、対応の仕方がわからない。
国の在り方そのものの問題である。
それが、つまり、起こるか起こらないかわからないような緊急事態・異常事態に対する備えができているかどうかが、超一級国か普通の国かの違いではないかと思う。

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意識不明の重体のロシアの野党指導者ナワリヌイ氏をシベリアから飛行機で搬送し、ベルリンで治療するというニュース。ここ
20日にロシア・シベリアで意識不明(毒を盛られた疑い)になり、22日にはベルリン空港に着陸という早業。
ドイツでは、こういう異常事態にいつでも、即、対応可能な医療体制が、医療技術を含め、整っているということ。
日本ではどうなのだろうか。
高度な医療技術を要するような異常事態に対応できる体制をつくるということは、医療水準全体のレベルを上げるはずである。
重体患者を飛行機で搬送することも、高度な医療水準を要するはずである。医療水準全体のレベルを上げるはずである。
一見無関係にみえるが、その恩恵は医療全般に及ぶはずである。
医療制度というのは、国民の健康維持、向上に資するものであるべきだ。
薬漬け、医者漬けというのは、むしろ失敗した医療制度である。
医者や薬は、世話にならないのが理想である。
とはいっても、現実には、人間は病気になる。難病は増えてもなくなることはない。こういう分野にはドシドシ出費すべきとなる。
医学が進歩する。
進歩により得た知識等は予防に使えばいい。医療費の削減になる。一石二鳥である。

おそらく、ドイツは自信があるんだと思う。それは、今後を見守ればわかる。
こういう新しい挑戦は、難病とか不治の病にかかっている人に希望を与えることになる。
医学、医療の進歩とはそういうことのはずである。

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パキスタンで銃撃にあったマララ・ユスフザイのことを思い出した。ここ
2012年パキスタンで銃撃に遭い(頭部を銃弾で撃たれる)、治療と身の安全のためにイギリスに移送された。
手術に成功し、奇跡的に回復。
そのままイギリスに住み、リハビリを受けながら、学校に通った。2014年ノーベル平和賞受賞。
今年、オックスフォード大学を卒業した。ここ

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医療というのは、マララの場合のように、奇跡・希望を与えられるものであるべきだ。
そのためには、過剰医療や無駄使いなどできないはずだ。
国民も、食事や運動などの健康生活習慣により、まずは、病気に負けない、病気に強い身体づくりである。
病気に対抗力がない、弱い人、病気になった人など医療を本当に必要とする人が十分な治療を受けられるようにすることである。
コロナのようなパンデミックは避けられないので、そういう場合の備えを普段から心がけ準備しておくことである。

人間はできると思えばできるものである。
医療は、いざとなれば必要で有効な治療が受けられる、つまり回復できるという希望(信頼できる)を国民に示すことである。

ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた時代があったことが信じられない。