喜寿から始まる

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本気でコロナに立ち向かうべき、人間の本質に添ったものでなきゃダメ

2020年08月03日 | 写真・絵日記


梅雨明けがまだだというと、その日(8月1日)のうちに明けたという。そういうものだ。

四連休中に感染者が大幅増したという。ここ
遊びをした人が感染したとか、家の中でもマスクをするとか、自衛しかないというふうに決めつけるのはいかがなものか。

経済回復のためといって、遊び場を提供しておきながら、遊びをした人が感染したという非難ポイ言い方はいかがなものか。
よくよく考えれば、人間には、遊びというか気晴らしというかレクレーションは必要なのである。
だから、人間のそういう本質を前提とした対策をとるべきだ。
また、家庭内でマスクというが、家庭というのは、寛げる場のはずである。
家庭というのは基本的に3密の環境である。そういうところでマスクをしろ、緊張しろという方が無理である。
手を洗う、マスクをする、ソーシャルディスタンスを保つ、など1人1人が感染予防対策の基本をしっかり守っていくなど自衛策しかないというのも現実的ではない。

要するに、見えないけれど、行くところには必ず感染者がいるということを前提とすべきである。
人間は遊び・気晴らし・趣味・レクレーションが必要な動物ということも前提とすべきである。
お好みの遊び等は人それぞれである。家で飲むことで気晴らしになる人もいれば、飲み屋で飲まなきゃ気晴らし出来ないという人もいる。

以前にも書いたところだが、PCR検査しかない。
ニューヨークでは街のほとんどのクリニックで無料で検査を受けられるという。
また、より簡単な唾液による検査もあるという。
いずれにしても検査をして陰性か陽性かを明確にすることである。
安倍首相は強制できないというだろう。強制などする必要はない。
希望者する人でいいのである。或いは拒否しない人でいいのである。
できれば証明書を発行するようにしておけばいい。
複数人が集まるところでは、その証明書を提示すればいい。提示しない人は参加できないことにすればいい。
現状では、誰も、自分が陰性なのか陽性なのか知らない。
知ることができれば、各人の行動も変わってくるはずである。
検査のために感染者数が一気に多くなってもいいのではないか。良いも悪いもない。それが現実なら仕方ないではないか。
むしろ、信頼できる数字が出れば、自分の命・健康に関わることだから、緊張感をもって対応できる。
わけもわからず自衛しろと言われるよりも、数字を示せば、自衛の必要は指示されなくともわかるはずである。

ニューヨークでできているなら東京だってできるはずだ。

なぜ、抜本的対策を講じないのだろうか?
危機感がないのではないか。責任感の欠如ではないか。
政治家よ。国民の負託に誠実に応えよ。できないのなら、辞めるべきだ。

憤りがこみあげてくるのみ・・・

・・・・・

安倍首相はすぐに憲法上出来ないという。
アメリカでは連邦憲法で信教の自由が保障されている。
アメリカでは各州の権限でコロナ関係の規制をしている。
その中に集会や人の集まる場所についての人数制限がある。
教会も基本的には新型コロナの時代、人数制限はやむを得ないと捉えているようである。
ただ、他の民間の活動等と比較してより厳格な規制が課されるような場合には、信教の自由違反であるとして訴訟になったケースがある。
これまで、連邦最高裁で2件、判断があった。
いずれも合憲(5:4)である。ネバダ州(ラスベガスがある)の事例では、カジノが教会より規制が緩やかなのはおかしいという主張もあったほどだ。もう一つはカルフォルニア州の件である。カルフォルニアは民主党の牙城である。
行政での判断が尊重されているようである。国民の健康や安全にかかわることはまず政治の責任であること、その時々の事態に柔軟に対応する必要があること、新型コロナが治療法もワクチンもないことなども考慮されているようである。

首相の職責は、国民の健康と安全を最優先することである。
安倍首相にはそのような覚悟は全く見受けられない。残念である。
いつまで経ってもできないということは、要するに能力がないということではないかと、最近は思っている。

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本気になればなんでもできる、知恵がでる。