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コロナ対策の基本は感染を防ぐOR発症しない?現状では破滅に一直線か

2020年08月01日 | 写真・絵日記

とうとう8月になった。
一時期、コロナは夏に弱いと言われていたが、そうでもない。日々感染者増加数の記録更新でも実証。
それ以前に、アメリカとブラジル、一方は夏だが他方は冬、にもかかわらず、感染者数、世界1、2を争っている。
経済活動が再開され、感染者数が増加している。第二波と呼ぶかどうかなどどうでもいい。

日本でも最近は家庭内感染がいわれている。
つまり家族の一員が外で感染し、家族内の一番弱い者が発病するというパターンである。

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コロナ対策の目的は何だ?
現時点では、感染を最小限に抑えることではないのか。
ワクチンはもとより治療薬、治療法さえない。
新型コロナの厄介な点は、感染しても無症状であることだ。
つまり、感染しても本人に自覚がないので、知らない間にほかの人に感染させることだ。

若者は、しかも多分感染しても発症しない若者は、元気なのである。つまり活動的ということだ。
活動的ということは、あちこち動き回るということである。
感染しても発症しない若者というのは、見方によっては、一番危険な存在ということだ。

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どの機関でもいえることだが、政治的になればなるほど、専門家としての立場でみて相応しい人がその地位についているわけではない。
コロナ危機で私たちはWHOについて、そのことを身をもって知ったのではないだろうか?
WHOは本来の職務と全く逆効果な結果をもたらすために活動しているようにみえる。

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コロナをばらまくが発症しない人に経済活動をまかせるのがいいのか、コロナをばらまく心配のない人に経済活動をまかせるのがいいのか?
一番重要なことはコロナに感染しないことではないだろうか。
自ら感染しなければ、人に感染させようがない。
感染しない人というのはどういう人だろうか?
感染しても発症しないとされている人は、感染しないように注意はしない。
感染すると発症するかもの人は、より感染しないように注意するのではないだろうか。
(重症化する恐れのある人は進んで自粛するだろう)
勿論、一般論であるが・・・
自分が病気になろうが人に感染させようが全く気にしないという人もいるだろうが、極めて例外である。
普通は、人に感染させることにはそれほど関心がなくとも、自分が病気になるかどうかは気にするという人が多いのではないだろうか?

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コロナをばらまく心配のない人に活動してもらうことである。
そのためには、検査をすることである。
PCR検査をし、陰性の者から外で働いていい(外で遊んでもいい)というわけである。
日本では、PCR検査の部分は全く情報が伝わってこない。おかしいなことである。
コロナ禍で学んだこと。必要があれば一日で意識は変わる、ライフスタイルは変わることである。
PCR検査が前提条件、当たり前となれば、陽性にならないよう意識するはずである。
コロナに感染しないという強力なインセンティブになるのではないだろうか。

医療崩壊を起こす前に感染拡大を抑えることである。

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こんな記事を見た。どのように考えるべきか?

なお、「若者・壮年者にとって新型コロナは脅威でない」という前提もそれほど確かでない。
なぜなら、最近の感染者をみると、若者の感染者が多くなっている。
若者の中にも頑強な人もそうでない人もいる。たまたま、体調が思わしくなかったということもあろう。
さらには、この新型コロナ、謎だらけである。コロナ菌が若者に負けない力をつける可能性もある。

日常生活を取り戻そう。誰も反対しない。
しかし、それは何も準備・予防措置を講じないでということではない。
感染していない人から始めよう。
外で感染しないような措置を講じてからにしよう。

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”当たり前のことを当たり前にする”