アリストテレスの正義論

2019-10-26 12:03:48 | 基礎法・法理学・法制史

[釣り合った天秤としての「正義」]

・アリストテレスは、独創的な「正義」観念を提唱するのではなく、当時のギリシヤにおいて多様に語られていた「正義」を実証的に分析して体系化した。これにより、「正義」とは一個人の内面の問題ではなく、複数当事者間の公平(平等)な関係性の問題であると把握されることになった。□松島141,147-8

・もっとも、アリストテレスの正義論は「国家による個人の平等的取扱い」にまで発展しなかったと説かれる。そこから時代が大幅に下り、プロテスタンティズムの万人司祭主義を経由して、近代啓蒙思想(社会契約論)の登場によって公法上の平等原則が確立することになる。□阿部野中4〔阿部〕、三島205-6

 

[一般的正義と特殊的正義]

 ・ギリシヤ語の「正義(dikaion,dikaiosynē)」には、「法を遵守すること(一般的正義)」と「均等的であること(特殊的正義)」という2つの用法がある。□松島142-3、中山16-8、三島85

してみれば、正(dikaion)とは、適法的(nomimon)ということと均等的(ison)ということとの両義を含み… ※『二コマコス倫理学』第5巻第1章1129a30の前後(岩波文庫版高田三郎訳171)

・「(一般的)正義=遵法」という用法は、アリストテレスの師の師であるソクラテスの主張と同様である。もっとも、彼らのいう「法律(nomos)」はポリスの全人倫的掟を包含する意味なので、その主張は法実証主義とは異なる。□松島143、三島85

むしろ戦場においても、法廷においても、どんな場所においても、国家と祖国が命ずることは、何でもしなければならないのだ。そうでなければ、この場合の正しさが、当然それを許すような仕方で、説得しなければならないのだ。 ※『ソクラテスの弁明』51Cの前後(新潮文庫版田中美知太郎訳114)

いま、われわれの見たごとく、違法的なひとは不正なひとであり、適法的なひとは正しいひとなのであってみれば、明らかに、適法的な行為はすべて、一つの意味における正しい行為である。…このような意味での正義は、それゆえ、完全な徳(aretê)にほかならない。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第1章1129b10-20の前後(岩波文庫版高田三郎訳172-3)

・2つの用法のうち、アリストテレスの主たる関心は「(特殊的)正義=均等」にあった。□松島142-3、三島86

ここでわれわれの考究するのは、これに対して、徳の一つとしての「正義」に他ならない。…かくして、明らかに、全般的な不正義とは別個の特殊的な或る不正義が存在している。それがしかし同じ名称をもって呼ばれているのはその定義が同じ類に属するによる。つまり、両者いずれもが対他的関係に置いて成立するものなのだからである。ただ、狭義の不正義は名誉とか財貨とか身の安泰とか-ないしはもしこれらすべてを網羅しうる何らか一つの名称があればそうしたもの-にかかわり、利得に基づく快楽をその目的とするものなるに対して、広義の不正義はおよそよきひとのかかわるごときあらゆることがらにかかわっているのであるー。…このような正義が何であり、いかなる性質のものであるかをわれわれは把握しなくてはならぬ。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第2章1130a20前-1130b10前(岩波文庫版高田三郎訳174-6)

 

[特殊的正義その1:分配的正義]

・名誉や財貨の分配における正義は、「X氏の取り分/X氏の価値=Y氏の取り分/Y氏の価値」という比例式の成立を要求する。□松島143-4,148-50、中山16-8

してみれば、明らかに「不均等」ということに対してその「中」にあたるところのものがやはり存在する。「均等(ison)」がすなわちそれである。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第3章1131a10の前後(岩波文庫版高田三郎訳178)

「正」ということは、必ずや少なくとも四つの項を予想するものでなくてはならぬ。そのひとにとってまさにそれが「正」たるべき当事者が二、そこにおいて「正」が示現さるべきところのもの、つまり問題のものごとが二だからである。そして、これらのひとびととものごとにおいて同一の均等性が存するであろう。換言すればそこでは、ものごとの間におけると同様の関係がひととひととの間にも存するわけである。すなわち、もし当事者が均等なひとびとでないならば、かれらは均等なものを取得すべきではないのであって、ここからして、もし均等なひとびとが均等ならぬものを、ないしは均等ならぬひとびとが均等なものを取得したり分配されたりすることがあれば、そこに闘争や悶着が生ずるのである。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第3章1131a20の前後(岩波文庫版高田三郎訳179;訳語を一部改めた)

分配における「正しい」わけまえは何らかの意味における価値(axia)に相応のものでなくてはならないことは誰しも異論のないところであろう。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第3章1131a30(岩波文庫版高田三郎訳179;訳語を一部改めた)

・「分配的正義(比例的平等)」と「匡正的正義(算術的平等)」の区別はアリストテレスの独創ではなく、プラトン(『ゴルギアス』508A、『法律』757B-C)やイソクラテスらも主張していた。□三島87、加来316

・ローマ法以降の正義論では、アリストテレスの「分配的正義」が正義の原形式とされた。□吉原ほか編20-3〔吉原〕、中山19-21

キケロ:各人に各人のものを帰属させること(Suum cuique tribuere)。

学説彙纂(Digesta)1.1.10:正義(justitia)とは、各人に各人のものをあたえようとする永続する変わらない意思である。したがって、法が命じるところは次のようになる。正直に暮らし、他者に危害を加えず、各人に各人のものをあたえること。法の深慮=法学(juris prudentia)とは、神と人にかんする事柄について知ることであり、正義に適うこと(justi)と正義に反すること(injusti)を学ぶことである。

・現代正義論も、国家の再分配を論ずる際に「分配的正義」を参照する。□松島148-50、濱163-4

・古典ギリシャ語の'dianome'は「分けること」を意味する。現在の経済学では資源の「配分(allocation)」と所得の「分配(distribution)」を区別するため、近時の法哲学界では「分配的正義(not配分的正義)」と表記されることが多い(ホント?)。□松島150、濱162

 

[特殊的正義その2:匡正的正義]

・損害賠償や刑事責任における正義は、「X氏の被った損害=Y氏の負うべき賠償額(刑罰)」という等式の成立を要求する。□松島145-6、中山16-8

残りのいま一つの種類は、もろもろの随意的ならびに非随意的な人間交渉において、ただしさを回復するための匡正的(diortoticon)なそれである。この「正」は先のそれとは異なった形態を有している。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第4章1131b30前(岩波文庫版高田三郎訳181;訳語を一部改めた)

しかるに、いまのようなもろもろの人間交渉における「正」とは、これもやはり一種の「均等」(そして「不正」は「不均等」)ではあるが、それはしかし、さきのような比例に即しての均等ではなく、算術的比例に即してのそれである。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第4章1132a0後(岩波文庫版高田三郎訳182)

けだし、よきひとがあしきひとから詐取したにしてもあしきひとがよきひとから詐取したにしても、また、姦淫を犯した者がよきひとであるにしてもあしきひとであるにしても、それはまったく関係がない。かえって、法の顧慮するところはただその害悪の差異のみであり、どちらが不正をはたらきどちらかがはたらかれているということ、どちらかが害悪を与えられたということが問題なのであって、法は彼らをいずれも均等なひとびととして取扱う。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第4章1132a0後(岩波文庫版高田三郎訳182)

・ニコマコス倫理学第5巻第5章では「交換的正義」にも言及される。すなわち、商取引では「X氏の受け取る商品(貨幣)=Y氏の受け取る商品」という等式が成立する必要がある(物と物との交換では価格という共通の尺度が必要となる)。もっとも、交換的正義に関する記述は曖昧であり、論者によっては匡正的正義と同義だと解されている。□松島145-6、中山16-8、濱163

あらゆるものが貨幣によって計量されるのである。Aは家屋、Bは10ムナ、Cは寝台。いま家が5ムナに値するならば、つまり5ムナと等しいならば、AはBの2分の1。また、寝台すなわちCはBの10分の1。この場合、幾台の寝台が1軒の家屋に等しいかは明らかである。すなわち5台。貨幣の存在以前においては交易はかくのごとく行われたものなることは明らかである。 ※『二コマコス倫理学』第5巻第5章1133b20後(岩波文庫版高田三郎訳189-90)

 

加来彰俊「訳者注」プラトン『ゴルギアス』(岩波文庫版)[1967]

阿部照哉・野中俊彦『平等の権利』[1984]

三島淑臣『法思想史〔新版〕』[1991]

中山竜一『ヒューマニティーズ 法学』[2009]

★松島裕一「古典的正義論」竹下賢ほか編『はじめて学ぶ法哲学・法思想』[2010]

吉原達也ほか編『リーガル・マキシム 現代に生きる法の名言・格言』[2013]

濱真一郎「正義は問われつづけている」長谷川晃・角田猛之『ブリッジブック法哲学〔第2版〕』[2014]

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