寺崎英成は、吉田茂に「陛下のスポークスマン、天皇制護持に全力を尽くしてくれたまへ」と云われて、宮内庁御用掛になった。その日、「草莽の臣 茲に在り ほととぎす」と詠む。ふとホトトギスは簡単には泣かないのだろう、…と思う。
半藤一利は「御用掛は宮内庁の”通訳”であるが、マッカーサー元帥と昭和天皇という二人の帝王の間に立つことになる。御用掛はある意味では、両者への助言的な性格を持つ」と述べる。
寺崎日記では、昭和22年大晦日に、天皇への拝謁が63回あったと記されている。言い方が悪いが、天皇の苦情対応のような仕事が多い。例えば、女子学習院を何とかしろとか、公職追放された前総理の鈴木貫太郎の年金をどうにかならないか、とか。
春の人事の季節には「…外務省の人間で外務省に行かない 新次官にまだ会っていない」とぼやいている。
「官吏として最高の地位に達した。思い残す処なし」はどうも本心ではないという気がしている。だから、彼の悔しい思いを請けた家族の手によって、こうして『寺崎日記』が刊行された、そう想うのだが、・・・。
冬が来る・・・。
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