玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

近現代史の裏側⒆―「木戸日記」という商品―

2023-12-25 10:50:50 | 近現代史

『木戸日記』は軍部に従っていたことを示すと同時に、自らが黙認していたことも現れていた。また、特別な扱いを受けていたことも書かれていた。1945年12月16日、近衛の訃報を聞きながら、宮内省の自動車に乗って巣鴨拘置所に行った。

 『木戸幸一日記』東京裁判期より

12月16日未明に自殺した近衛は、11月9日に芝浦桟橋から駆逐艦「アンコン」へ連行された。米国から木戸・広田らも尋問を受けたが、日比谷の明治生命ビルだった。近衛は、戦争を終わらせるキーマンは木戸だと言った。そして彼は「巣鴨に行く」ことを徹底的に拒んだ。

ロサンゼルス・アーカイブスの近衛尋問記録

12月21日、木戸は都留重人と一緒に自動車に乗って、芝に行き、キーナンの宿舎に行き、食事をご馳走になり、記録(『木戸日記』)の提出を求められ承諾した。【次回へ】

『木戸日記・東京裁判期』(1980年初版)より。

 

 

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