北海道昆虫同好会ブログ

北海道昆虫同好会は北海道の昆虫を中心に近隣諸国および世界の昆虫を対象に活動しています。

黄色い皇帝 ( Yellow emperor :   Euapatura mirza  )  の採集

2023-01-28 17:31:33 | 採集記・旅行・写真

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黄色い皇帝 ( Yellow emperor : Euapatura mirza  )  の発見

 

 

1970年7月3日  イラク北部 シンガー渓谷 にて

 

 

目の前に突然、すばらしい速度で1 匹の 中型の蝶が現れた。それは 黒い 地色に 前後翅 とも大 きな黄色の斑紋のある目の さめ る よ うに美しい蝶であっ た。 見た瞬間に私は「新種だ!」と思った。 

 

 

 

しかし、その素早いこと,文字通 り目に もとまらぬ速さである。忽ち丘の 向う側遠く姿を 消してしまった。 

 

 

ヨーロッパ産の コムラサキの一種  Apatura  iri s には紫色 の皇帝〔Purple Emperor)という名がつ いている の で 私 は い つ の 問 に か こ の 蝶 を “黄 色 い 皇 帝 ” (Yellew Emperor)と呼んでいた。

 

 

 

 

その後、私が岩の間に足を踏み込んだ時に一 匹の “黄色い皇帝”が舞い上っ た。はっ と身構える私の 頭上を高く通りすぎた蝶は,鷹のよ うに精悍な飛び方で 大 きな 輪 を 描 きな が ら 青空 を 旋回 し て い た が ,や が て 又 しても私の期待を裏切っ て視界の外へ 消えてしまっ た。 

 

 

 

脳天を斧で割られたような同行のイラク人マ ティウスの悲鳴を聞いて振り向 いた私は,マ ティウスが地に伏せたネッ トの大きな裂け 目から矢のような早さで飛び去る“皇帝” の姿を見た。 

 

 

 

私は遂に ‘黄色い 皇帝,を捕えた。 蝶は谷の 中を飛んでいたが,連よく私か ら程遠か らぬエ ノキの梢にとまった。足場もさほ ど悪くなかっ た。 私は難なく捕えたが. 今度はネットに入っ たことがどうしても 信じられなかった。私は蝶がネットの中 で暴れているのが判っ ていながら、あわ ただ しく周囲の 空を見廻 した。

 

 

それか ら 蝶をおさえてネットから取出した。さん ざ ん 私 を 苦 し め た “黄 色 い 皇帝 ” と は 一 体どんなものだろ う。

 

 

私はまるで別の惑 星から飛来した宇宙船を捕えたよ うな, 未知の ものに対する息づまるような好奇 心に手がふるえた。 

 

もう掌にのせられた 蝶以外のものは涙で霞んでしまっ て見えなかった。

 

 

イラクでの私の滞在地バスラへの帰路、真夜中の砂漠の真ん中でひどい自動車事故に会うがなんとか無事であった。

 

 

 

全身砂まみれの私は暑さと疲れでウツラウツラまどろみながら、それでも時々黄色い皇帝など採集品を入れた箱の蓋を開いては中をのぞき込んだ。1 匹の , 世界の 誰も採っ たこ とも見たこともない蝶の 標本を抱い て砂漠を南へ 下っ て ゆく......それは 素晴しい 旅であっ た。 

 

 

 

以上の黄色い皇帝採集の状況は 日本鱗翅学会会誌 やどりが(1971) に掲載された 五十嵐邁氏の イラク採集記 より抜粋したものです。

 

 

このころ、イラク北部に接するトルコ側でも、このチョウが採集されて生態なども解明されており、恐らく五十嵐氏の採集記のことを知ったせいか 1971年、至急記載がなされました。原記載はドイツ語。当初、Apatura 属の一種かとおもわれましたが、検討の結果 Euapatura という新属 ( 1属1種ですが) がつくられ、このチョウは Euapatura mirza Evert 1971 として記載されました。 日本では キイロコムラサキ との和名が一般的です。

 

 

 

ここにお示した標本はトルコ側の個体で、このチョウの記載がなされて少したった頃、当時私のチョウ友だったトルコの方との交換で入手したものです。けっこうな個体数が送られてきたので、当時、トルコ側産地では稀ではなかったのかも知れません。それから半世紀もたっているので現在の状況はわかりませんが。

 

 

 

 

先日、DVD屋から借りてきた モスル という映画を見ました。半世紀前のモスルは五十嵐邁氏が北イラク採集の基地にしていた古い町ですが、近年イスラム国とイラク国軍との戦いで見る影もなく破壊されました。つい最近までイスラム国がここを占拠していましたが、そこを奪還する際の映画で、物語の謎ときにもなる最後のシーンが印象的。このDVD を見て、ふとこのキイロコムラサキのブログアップを思いつきました。

 

 

昔、五十嵐邁氏のお宅を訪問したことが一回あります。突然おじゃましたのに奥様が高級ステーキを焼いて、ワインまでごちそうになり恐縮した記憶があります。このとき膨大なチョウ標本を収蔵する標本室をみせてもらいましたが、一番大切な標本は北イラクで採集したチョウたちでこれらが最も学術的価値があると話されていたのが強く記憶に残っています。

 

 

 

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モンゴルのアムールヒョウモン ( Clossiana toritonia )

2023-01-19 16:49:47 | 採集記・旅行・写真

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モンゴルのアムールヒョウモン ( Clossiana toritonia )

 

 

小型のヒョウモン類が多いモンゴル産 Clossiana属の中ではとりわけ大きくて見事なヒョウモンです。

 

モンゴルにおいては ウランバートル近郊の Terelji で採集されているがそれ以外では稀。

 

有名なTerelji のカメ岩。

 

 

 

私は Terelji 以外では北部フブスグル湖近くの高山帯で採集したことがあるのみです。

 

 

 

モンゴル全域における分布調査は未だ不十分です。 

 

Tereljiでは小川沿いの小道でよく見かけましたが、飛翔は力強くスピードがあり、採集しにくい蝶でした。 

 

 

 

 

年1化で6月に出現し始め汚損個体は7月中旬まで見られる。山頂やガレキの斜面に集まることがある。

 

Terelji の初夏の風景。

 

 

 

ロシアにおける食草は ユキノシタ科の Saxifraga bronchialis。モンゴルにおける幼生期の情報は今のところ知見なし。

 

 

 

 

朝日純一氏は「サハリン島特産亜種」としてアムールヒョウモン=ユキノシタヒョウモンClossiana tritonia (ssp. galinae)を新たに記載予定というがモンゴル産に比べると暗化傾向が顕著。

 

 

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モンゴルのオオアカボシウスバシロチョウ。

2023-01-12 13:05:04 | 採集記・旅行・写真

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モンゴルのオオアカボシウスバシロチョウ。

 

初夏のモンゴルを代表するノミオン。種々の理由で家畜が入っていない美しい草原にはオオアカボシウスバシロチョウ( Parnassius nomion )が舞っています。

 

 

モンゴルではヘンティ山脈、ハンガイ山脈、北部山岳地帯、およびその周辺の草原で、あまり過度な放牧が行われていない地域にはたいてい分布していると思われます。

 

 

しばしば群生し、時におびただしい数の飛翔が見られることがあります。

 

♂は草花の咲き乱れる美しい草原を低く飛び、♀をさがします。地面にとまっている♀を発見するとホバリングするのが観察されます。

 

 

 

 

♂♀ともにアザミ、カノコソウの1種、ピンクのジャコウソウなどの花で吸蜜します。

 

 

 

♀は♂のようには活発に飛び回らず、時々トノサマバッタがひとっ飛びするように、ぱたぱたぱたと低く数十 m飛んでは着地する。

 

 

 

 

 

従って飛びかたで♂♀の判別が出来るのも特徴です。

 

 

 

この蝶の多いところにはきまってエゾキリンソウをとても大きくしたような30-50cmほどのベンケイソウ科植物が見られ赤い花をつけます。私たちはアカバナベンケイソウと呼んでいますが、これがモンゴルのオオアカボシウスバシロチョウの食草の第一候補です。しかし現地での幼生期については、今のところ報告が無く、私たちも確認がとれていません。

 

 

 

生態写真は、すべて吉田嘉男氏撮影。

 

 

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チョウセンウスバキチョウ Parnassius eversmannni sasai  0. Bang-Haas  1937   秘話。

2023-01-03 10:49:27 | 蝶・昆虫・自然・同好会など

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チョウセンウスバキチョウ Parnassius eversmannni sasai  0. Bang-Haas  1937  秘話。

 

 

チョウセンウスバキチョウの命名。

この新亜種の記載はきわめて異例なパターンでした。命名者の O.Bang-Haas は実際には標本現物を見たことがなかったにも関わらず玉川學 園の荒川節士による朝鮮半島のウスバキチョウの記 録などを報じる論文(英文:Arakawa, 1936 ) を目にするやいなや、それを丸写しする形で、論文中のデータ不詳の 1♂の標本 写真のみをタイプ(完模式標本)として 1937年に電光石火の早業でチョウセンウスバキチョウ sasai の新亜種記載をした。sasai は第一発見者の佐々亀雄(さっさかめお )氏に献名したつもりのようだが、苗字の実際の読みは ササ ではなく サッサ sassa 氏が正しい。O.Bang-Haas がそれを知っていれば ssp. sassai となっていたかも知れません。

 

 

 

下記の記載文は本来ドイツ語であるが朝日純一氏の努力で日本語訳されたものです。

 

1937 年 4 月 22 日発行のフ ランクフルト昆虫学会の会誌Entomologische Zeitschrift に新亜種名 sasai を記載(Otto.Bang-Haas, 1937)。 

 

Parnassius eversmanni sasai O.B-Haas, 新亜種 

P.eversmanni M., 土居, Zephyrus 6, p.17, f.2 (1935) ― 

P.eversmanni maui Bryk, 土居・佐々, 1936、科学館報(京 城)52 号1頁、本文と写真2葉、1♂ab.mediocaeca(両方と も日本文);Arakawa, 1936、蝶學雑誌1巻 47 頁、本文 7 頁図版 1頁(英文) 

採集地:Corea sept., Kankyonando, Chozu (!), Yurienei (!) (朝鮮北部咸鏡南道長津郡有麟嶺) 1500-1900m、4♂1♀、1934 年8月 Kameo Sasa (佐々亀雄氏) 採集 開張♂♂60-62mm、 ♀64mm 

朝鮮の採集家からの便りによると、第1世代は 5 月中旬から 6月中旬、第2世代は 7 月から 8 月にかけて飛翔する。私は、シ ホテ・アリニ山脈の亜種 maui Bryk から第1世代を mauoides O.B.-H.として分離した(模式標本はバング·ハース・コレクショ ン中に所蔵)。それゆえ、Moltrecht 博士の記述に対しては、いく つかの点から批判した。Vergl. Horae Macr. I. p7(1927)。 

私は模式標本として荒川氏が図示した♂を示す。Sasai は、 mauoides O.B.-H と似るが、幾分大きい。前翅では、黒色帯と暗 色斑はより濃色でより広い。後翅では、弧状紋の帯は明瞭に現れ、 2 つの眼状紋は延伸している。新鮮な eversmanni の標本では通 常濃赤色の眼状紋を有するが、長く飛び古すとこの赤色は褪色し てくる。荒川氏の別刷送付に感謝する。

 

 

 

 

当時、極東のウスバキチョウは年2化と考えられていました。

 

 

 

 

 

現在、一般的な考えではパルナシウス属の蝶が年2化とはちょっと考えにくい。ながらく謎でしたが、近年、下記のようにその疑問は解明されています。

 

 

 

 

ウスバキチョウに関しては、極東ロシアの産地の殆んど の場所で半化性(2年に1回発生:飛翔時期が5-6月 と早いので、初夏型 Early Summer Form と呼ばれる) と年1化性(1年に1回発生:飛翔時期が7-8月と遅 いので、盛夏型 Middle Summer Form と呼ばれる)がほ ぼ同所的に棲息することが Gluschenko ら(2001)によ って確認・発表されている。 

 

 

 

 

ただ、実際に チョウセンウスバキチョウ ssp. sasai が 半化性(2年に1回発生)と初夏型(年一化)があるのかどうかは不明です。

 

 

 

 

 

ちなみに北海道大雪山のウスバキチョウは過酷な棲息環境のため、産卵から羽化までに二冬を越し、あしかけ3年目にチョウの姿になります。

 

 

 

 

佐々氏が 北朝鮮の蓋馬高台でチョウセンウスバキを新発見した経 緯。当時現在の北朝鮮および韓国は日本の領土でした。

 

 

 

 

1934 年 8 月、昭和九年(1934 年)の夏、朝鮮山岳会の一員だった佐々亀雄氏 (34歳)は、未踏査の遮日峰頂を目指した。 

 

 

 

佐々が 1934 年 8 月 7 日にチョウセンウスバキを初め て採集したとき、それは針葉樹林帯のクガイソウに吸蜜 中であったという。紫色のクガイソウに色鮮やかなウスバキチョウ。デジカメの発達した現在なら、なんとphotogenic な光景でしょうか。

 

 

 

 

 

北海道大雪山のコマクサ平から東岳の広大なお花畑を低くふわふわと舞う多数のウスバキチョウを原風景として脳裏に刻み込んでいる私には、針葉樹林帯のクガイソウに吸蜜 中というウスバキチョウの姿はやにわには想像しがたい。 しかし、実際に世界的視野でみれば大雪山のウスバキチョウの棲息環境があまりにも特異なだけで、大陸などのウスバキチョウは草原や森林、山地、ないしはツンドラや亜高山の灌木帯の蝶であることのほうが多いのです。

 

 

 

 

日本人蝶愛好家のウスバキチョウ崇拝熱は尋常ではなく、その理由は美しい高山帯に舞う夢の最美麗亜種、特異な大雪山のウスバキチョウに対するかなわぬ憧れの裏返しと考えています。

 

 

 

 

朝日純一氏の名著 北満と北鮮のウスバキ秘話(キトリナ通信 No.432-434)  によれば、その後のチョウセンウスバキの数奇な運命が詳細かつ胸躍る読み物として紹介されていますので、興味のあるかたは是非一読をお勧めします。今回のブログ記事は、これを元に作成させていただきました。

 

 

 

 

ここに示したウスバキチョウは 現在の北朝鮮北部で採集されたものとされ、とある方からいただいたものですが 色々な意味合いで採集データ等はあえてつけておりません。

 

 

 

 

私のみたてでは、おそらく チョウセンウスバキチョウ Parnassius eversmanni sasai  0. Bang-Haas  1937  と同一の個体群ではないかとおもわれますが如何でしょうか。

 

 

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