最近、高校野球を久しぶりに見ている。
私も中学校を卒業するまでは野球少年で、7年くらい野球を続けていたわけだが、たいした成果も上げられず、面白さも分からず、辞めてしまい、苦い思い出となっている。
こうして大人になって野球を改めてみてみると、弓道と同様に多くの身体技術が含まれていることに気づき、驚かされる。
たとえばピッチャーの投球フォームがスローで映される場面などは圧巻で、まるで鞭(むち)のようにしなった腕から、放たれた球が一転ずっしりと重みを感じられるほど真っ直ぐキャッチャーミットに届く様は、大変見応えがある。
これなどは「身体を使う」ことの好例だろう。
つまり、腕でいくら速い球を投げようとしても、腕は固くなり、球は走らない。逆に、身体(特に下半身)を動力として、腕はそれを伝える役割に徹することで、腕がしなり、球に加速的に力を伝えることができるのである。
また、これを実現するには腕が脱力しきっていてはだめで、しなやかな竹の如く張っていなければならない。さらに、手先は球を握るでもなく、軽く持つでもなく、しっかりとそれでいて力むことのない、すなわち握卵(あくらん)の手の内でなければならない。
ここまで書けば弓道もまさに同様であることがわかるだろう。
すなわち、角見の働きや妻手の作用にばかり気が取られていてはだめで、むしろ、身体(胴造り)を基点に、背中、首、肩の辺りで引き分け、両腕はその力を伝えることに徹するのである。
そのために腕や肩をしなやかに伸ばし(詰合い)、両の手の内は適度に張り(握卵の手の内)、じわじわと身体を開いていくことで(伸合い)、離れを出すのである。
こうすると、まさに高校野球さながら、腕がしなるのがわかるほどしなやかで弾力ある強い離れを発することができる。
私も中学校を卒業するまでは野球少年で、7年くらい野球を続けていたわけだが、たいした成果も上げられず、面白さも分からず、辞めてしまい、苦い思い出となっている。
こうして大人になって野球を改めてみてみると、弓道と同様に多くの身体技術が含まれていることに気づき、驚かされる。
たとえばピッチャーの投球フォームがスローで映される場面などは圧巻で、まるで鞭(むち)のようにしなった腕から、放たれた球が一転ずっしりと重みを感じられるほど真っ直ぐキャッチャーミットに届く様は、大変見応えがある。
これなどは「身体を使う」ことの好例だろう。
つまり、腕でいくら速い球を投げようとしても、腕は固くなり、球は走らない。逆に、身体(特に下半身)を動力として、腕はそれを伝える役割に徹することで、腕がしなり、球に加速的に力を伝えることができるのである。
また、これを実現するには腕が脱力しきっていてはだめで、しなやかな竹の如く張っていなければならない。さらに、手先は球を握るでもなく、軽く持つでもなく、しっかりとそれでいて力むことのない、すなわち握卵(あくらん)の手の内でなければならない。
ここまで書けば弓道もまさに同様であることがわかるだろう。
すなわち、角見の働きや妻手の作用にばかり気が取られていてはだめで、むしろ、身体(胴造り)を基点に、背中、首、肩の辺りで引き分け、両腕はその力を伝えることに徹するのである。
そのために腕や肩をしなやかに伸ばし(詰合い)、両の手の内は適度に張り(握卵の手の内)、じわじわと身体を開いていくことで(伸合い)、離れを出すのである。
こうすると、まさに高校野球さながら、腕がしなるのがわかるほどしなやかで弾力ある強い離れを発することができる。