最近、新しい弽(ゆがけ)に馴染んできたためか、以前にもまして、弓と一体になっている感覚がある。
特に引分けから会にかけて、ねっとりというか、しっとりというか、ぶつかるところが少しもなく、離れにおいても手の内に弓が吸い付くようにきゅるりと弓返りし、衝撃は一切感じられない。
この感覚は、合気道で経験するそれと非常によく似ている。
合気道ではこの感覚(対象と一体になる感覚)を「和合(わごう)」と呼び、重要視する。そもそも、合気という言葉には「相手の気と合わせる=和合」という意味があり、和合の技術こそ合気道の極意といえるのだ。
では、和合するためにはどうすればよいのか?
それが詰合いである。合気道では詰合いとは呼ばず、「合気を掛ける」というような言い方をするのであるが、本質的には全く同じことを言っている。
つまり、相手(弓)の力に対し、こちらの力を均一に掛け続けるというものだ。
この「掛け続ける」ということがポイントであり、少しでも相手との圧が抜けてしまうと、合気が外れて、相手との一体感がなくなってしまう。
弓道でも全く同じである。特に打起しから引き分ける際、大三で一度止め、会でもまた止まってしまう射をよく見かけるが、これでは弓との和合が失われてしまう。
そうではなくて、大三に入っても弓にかける圧は保ちながら引分けに移行し、会に入ってもなお圧を保ち続けることが肝要である。
こうすることで弓と和合し、一体になれる。
特に引分けから会にかけて、ねっとりというか、しっとりというか、ぶつかるところが少しもなく、離れにおいても手の内に弓が吸い付くようにきゅるりと弓返りし、衝撃は一切感じられない。
この感覚は、合気道で経験するそれと非常によく似ている。
合気道ではこの感覚(対象と一体になる感覚)を「和合(わごう)」と呼び、重要視する。そもそも、合気という言葉には「相手の気と合わせる=和合」という意味があり、和合の技術こそ合気道の極意といえるのだ。
では、和合するためにはどうすればよいのか?
それが詰合いである。合気道では詰合いとは呼ばず、「合気を掛ける」というような言い方をするのであるが、本質的には全く同じことを言っている。
つまり、相手(弓)の力に対し、こちらの力を均一に掛け続けるというものだ。
この「掛け続ける」ということがポイントであり、少しでも相手との圧が抜けてしまうと、合気が外れて、相手との一体感がなくなってしまう。
弓道でも全く同じである。特に打起しから引き分ける際、大三で一度止め、会でもまた止まってしまう射をよく見かけるが、これでは弓との和合が失われてしまう。
そうではなくて、大三に入っても弓にかける圧は保ちながら引分けに移行し、会に入ってもなお圧を保ち続けることが肝要である。
こうすることで弓と和合し、一体になれる。