続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

成長の原理

2009年05月17日 | 極意探求
弓道の技術的な頂き(いただき)である「中・貫・久(ちゅう・かん・きゅう)」。この中でも特に重視したいのが「久」である。

「久」とは、高いレベルでの「中」=中り(あたり)と「貫」=貫通力とが安定して発現するということである。

つまり、どんなによい射が出たとしても、それが続かなければ本当にその段階に到達したとは言えないということだ。

これは武道としてみた場合、至極当然のことである。なぜなら、元をたどれば生死を分けるような場面に合って、いつでもそれを回避できるような技術や心の状態を目指してきたのが武道であるからだ。

最高の射であっても、たまにしか出ないということでは武道としての価値は少ないといわざるを得ない。中るべくして中て、出すべくして出す。そうして初めてその段階の実力が備わったといえよう。

「久」を身につけるためには、矢数(やかず)を掛ける以外に方法はない。私の師匠は昔「毎日二百射引いて稽古。それ以外は弓放し」とよく言われていたらしい。

そこまでは難しいにしても、本当の意味で「久」を求めるのであれば、少なくとも毎日何らかのトレーニングは必要であろう。

今回は、久を実現する二つの段階をお伝えしよう。それは「研究」と「反復」である。

研究により、上達のコツを見つける。これがまず第一である。特に初心のうちはただ弓を引いていても正しい射になっていない場合が多い。なぜそうなるのか?どうするべきか?と疑問を持ちながら稽古をすることが肝要である。

そして、そうして発見したコツは一度体現できたとしても、すぐに消えてなくなってしまうものである。そこで「反復」が必要になる。正しい射を何度も何度も反復することで、その動きを身体にしみこませるのだ。

さらにそれが当たり前になってきたならば(久の実現)、またより高いレベルの研究に取り組むことが可能となる。

この「研究」と「反復」という二つの段階は、人が成長する上での原理原則である。余談ではあるが、教える側も今生徒がどちらの段階にいるのかを見極めながら教えることが肝要と言えよう。

また、この原理からすれば、ただ反復して稽古しても、逆に研究ばかりして全然反復しようとしないことも、上達には至らないということになる。

研究と反復。これなくして、久の実現はないのである。