続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

自灯明、法灯明

2009年04月20日 | 極意探求
会に入り伸び合っていると、いろいろと雑念が沸いてくる。

「もう離した方がいいだろうか?」「もっと押した方がいいだろうか?」「本当に当るだろうか?」と。

初級者の方であれば、先生に習ったことが頭でめぐり、不安と後悔の中で伸びあうことが多いのではないだろうか?

どうすれば、こうした雑念を取り払い、一意専心、伸合いだけに集中できるだろうか?

それにはまず「自分」に意識を向けることが重要である。これは、以前から説明している、「意識を向け、ただただ観る」ということである。

前記の「なんとかしなければ」というのと何が違うかといえば、頭の中にある「考え」に意識を向けるのではなく、実際の「身体」に意識を向けるというところが全く違う点である。

身体をただただ観察するのであって、それに対し批評したり(頭)、良し悪しの評価をしたり(頭)する必要は全くない。

そうではなく、自分の身体をまるで他人の身体であるかのように、ただただ観るのである。

初めのうちは、身体全体に意識を向けるのは難しいだろう。なので、例えば物見を入れて定まった胴造りなど、ポイントを決めて観るようにするとよい。

胴造りなどは、物見を入れてから打起して離れるまで、三重十文字の規矩(きく:形)が不動かどうかを観察するとよい。(悪くても後悔はせず、観察し続ける)

これに慣れてくると、段々自分の身体が、まるでオートメーションで動いているような感覚にすらなってくる。

さらに慣れてきたら意識の範囲を広げていこう。

例えば、前後の立ちの射や審査員、あるいは観衆や射場に飛んでくる鳥など、段々と「自分」から外の世界(これを「法」(ほう)と呼ぶ)へとその意識の範囲を広げていく。

このような稽古を実践することで、弓道がただの武術から立禅へと昇華されるのである。