野菜デモのブログ

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経済的な格差や貧困などの不満が、権力の側ではなく、マイノリティーに向けられているのではないでしょうか。

2016-12-11 14:57:12 | あっぱれ記事を応援しましょー

(耕論)社会の底が抜けた 出口真紀子さん、西村秀樹さん、鴻上尚史さん
2016年12月8日05時00分
http://www.asahi.com/articles/DA3S12695901.html

 「土人」発言とそれを擁護する政治家たち。米大統領になろうという人の発言。許されない差別表現が居場所を見いだしている。日本で、米国で。社会の底が抜けてしまったのか。

 

 ■「特権」気づかせる教育を 出口真紀子さん(文化心理学者)

 特定の人種や民族、少数者に差別感情を抱いている人は米国に常に一定数ログイン前の続きいます。しかし、そうした感情を表に出してはいけないという社会的な規範が、これまで彼らを抑えていました。

 ところが、移民や女性への差別感情を隠さないトランプ氏が登場し、次期大統領に選ばれたことで、たがが外れてしまったようです。ある社会心理学者が大統領選挙の前と後にした実験では、人々の社会的規範が明らかに変化していました。差別的なことを言っても大丈夫、という空気が広がっています。

 権力にある側が差別を抑えるどころか、むしろ助長している。それは日本も同じです。沖縄で米軍ヘリパッド建設に抗議する人たちに向けられた「土人」という罵声を、現職の沖縄北方相が「差別とは断定できない」と擁護したのも、その表れです。

 日米で共通しているのは、差別の対象にならない人々、マジョリティー(多数派)の多くは危機感を抱いていないことです。マジョリティーは労することなく得た優位性を持っていて、心理学では「特権」と呼びます。土人発言問題では、本土の人々が沖縄ではなくたまたま本土に生まれたということが特権です。特権集団は、自分には特権があるという認識が欠けていて、社会的抑圧の現実を否定するか見ないようにしがちです。

 トランプ氏は米国ではまさにマジョリティーです。白人で、男性で、経済的には上流階級に属し、宗教的にも少数者ではありません。さらに「それが何か」と開き直っているようにみえます。選挙中に叫んだ「アメリカを再び偉大に」という言葉には、人種的マジョリティー、つまり白人のアメリカを取り戻せという意味が込められています。

 米国のメディア、特にテレビはトランプ氏にあまりにも甘かった。過激な言動が何のフィルターにもかからず家庭に入り込みました。選挙戦の対抗相手は女性で、社会に内面化された女性蔑視があったことも否めません。

 日米を見渡すと、このような状況に至った要因に、人権教育の欠如があると思います。米国では、黒人奴隷の歴史や太平洋戦争中に日系人を収容所に入れた事実などを学校でどこまで教えるか、州により一様ではありません。それがトランプ氏を支持した州としなかった州の分断にも関係していると感じます。

 日本でもかつては、差別をなくすための同和教育などがそれなりに行われていましたが、今は十分とはいえません。現政権は人権教育には関心がなく、自民党は基本的人権を大幅に制限する改憲草案を持っています。

 マジョリティー側は自分の特権に気づかない。だから気づかせる教育の徹底が大事なのです。

 (聞き手・吉沢龍彦)

    *

 でぐちまきこ 66年生まれ。上智大外国語学部准教授。4歳から米国で育った。北米と日本を足場に差別の心理学を研究。

 

 ■権力でなく弱者向く不満 西村秀樹さん(近畿大学人権問題研究所客員教授)

 大阪府警の機動隊員が、沖縄の米軍基地に反対する人たちに「土人」などとの暴言をはき、松井一郎・大阪府知事や鶴保庸介・沖縄北方相が、それを擁護するかのような発言をしました。そのうえ政府は「土人」が差別用語にあたるかどうか「一義的に述べることは困難」とする答弁書を閣議決定しました。一連の動きに驚くばかりです。

 私自身は、大阪のテレビ局で長年、在日コリアンや被差別の問題を取材してきました。大阪には沖縄出身の人もたくさん住んでいます。差別の問題に敏感であるべき大阪の関係者から、無神経な発言がなされたのは残念です。

 こうした発言に対して市民社会が上げる声は、かつてより弱くなりました。労働組合や人権団体の力の低下も影響を及ぼしています。「松井知事、よく言ってくれた」という書き込みまであります。経済的な格差や貧困などの不満が、権力の側ではなく、マイノリティーに向けられているのではないでしょうか。

 歴史をさかのぼると、明治の初め、「(せんみん)廃止令」に反対する民衆一揆が西日本を中心に起き、被差別が襲われた事件がありました。権力に向かうべき民衆の不満が、弱者に向けられたのです。それは現代においても、相模原市で起きた障害者施設の襲撃事件などに通底している気がします。

 ヘイトスピーチ対策法が今年6月に施行されました。罰則のない理念法で、不十分な点は多々ありますが、排外的なデモを防ぐ一定の効果はみられます。一方、インターネットでは、民族や差別、性的少数者(LGBT)への差別などの書き込みは、ほとんど野放しです。

 テレビの場合、NHKと民放がつくる、自主的な第三者機関として放送倫理・番組向上機構(BPO)があり、番組を審査します。ネットのプロバイダーもこうした機関をつくり、悪質な差別表現に対しては削除を勧告すべきです。権力の介入を防ぎ、表現の自由を守るためにも必要な手立てです。プロバイダーの側は、差別書き込みが、書かれた当事者に深い傷を与え、ときには自殺に追い込むこともあるという危機感が足りないのではないでしょうか。

 社会の底が抜けないよう、手を打つ必要があります。日本は人種差別撤廃条約を1995年に批准しましたが、関連する国内法が整備されていません。政府から独立性を持つ人権擁護機関をつくれば、被害の救済により有効に対応できるでしょう。

 新聞やテレビなどの既存メディアは、もっと感覚を磨き、差別を許さないという姿勢を明確に打ち出すべきです。ネットからの攻撃を恐れて首をすくめているようにみえて仕方ありません。

 (聞き手・桜井泉)

    *

 にしむらひでき 51年生まれ。元毎日放送記者。日本ペンクラブ理事。著書に「大阪で闘った朝鮮戦争」「北朝鮮抑留」など。

 

 ■ネットの空気変えられる 鴻上尚史さん(作家・演出家)

 友達と演劇を見て、帰りに居酒屋に寄ったとしましょう。「あの芝居、ゴミだったね」と言うと、仲間から「なぜ? おもしろかったよ」という反論が次々と出てきます。そこで「自分の意見には賛同者がいないな」と立ち止まって考え直します。

 講演会で、質問に立った聴衆のひとりが自説をとうとうと語り始めると、周りから舌打ちが聞こえてきます。説得力をもって意見を伝えるにはどうしたらいいか。そこで技術や作法を考える。それがこれまでの世界でした。

 ところが、インターネットの登場で一変しました。おおっぴらに言えなかったようなことを書き込んでも、リアルな反発は受けません。いやな書き込みは読まなければいいのです。

 ふつうの人にとって、テレビや新聞に自分の発言が取り上げられることは、極めてまれです。でもネットの世界でレスポンスがないと、自分の存在価値がないと思い込みがちです。刺激的な言葉を使い、より強い反応やフォロワーの増加を期待してしまう。

 今年、「イントレランスの祭」という劇を再演しました。580万人の宇宙人が地球に難民として逃げてきて、日本が25万人を受け入れるとの設定で、そこで生じる愛と対立を描きました。

 今の世の中、イントレランス、つまり不寛容が花盛りです。特定の民族に向けたヘイトスピーチが、街頭で叫ばれるようになりました。ネットの世界での言説に後押しされ、そうした発言がリアルの世界でなされるようになったのでしょう。僕は眉間(みけん)にしわを寄せて差別を語るのではなく、目の前で繰り広げられる演劇を通じて、笑い飛ばしながら考えてもらいたかったのです。

 現実には自分が100%正しく、相手が100%悪いということはありません。でもネットでは、複雑な出来事を単純化して説明します。そうした話は心地よいから、人々は乗ってしまうのです。

 ネット炎上は、ごく少数の人が書き込みを繰り返しているだけだ、という研究があります。ネットだけ見ていると多数派の意見のようですが、実は実体のない空気のようなもの。空気なら変えることができます。

 まずは立ち止まることです。例えば、米国のトランプ氏が、メキシコとの国境に巨大な壁をつくると言ったときに、いったい、いくらかかるかを問うてみてください。そこに巨額をつぎ込むことが現実的でしょうか。話のいい加減さに気づきます。

 新聞やテレビでは自分の関心がないことも目に入ってきますが、ネットでは自分が見たいものしか見ません。でも海の向こうには、未知の広大な大陸があるのです。

 (聞き手・桜井泉)


こちらの記事は『大竹まことゴールデンラジオ』 2016年12月8日 で取り上げられました。
22分過ぎ~
 


 

 




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