野菜デモのブログ

毎月1度"なにか"をしてる活動報告や、あっぱれ記事さん大集合、"おてがるデモ"、メンバーの思いなどをアップしていきますー

読書案内1「ぜんぶ運命だったんかい――おじさん社会と女子の一生」

2022-01-11 14:52:24 | 情報提供
こんにちは。
 
今年から自分が読んだ本で
気になった箇所をコピペして
みなさんにお伝えしていこうかと思います。
 
ただコピペしただけなので
意味不明かも知れませんが
なにかのヒントになればと。
 
1回めは、笛美さんの

ぜんぶ運命だったんかい――おじさん社会と女子の一生 https://www.amazon.co.jp/dp/B099NFZ7X5/ref=cm_sw_r_tw_dp_9TCGG87CQQVXJ7857E82 

です。
 
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学生 時代 の 友達 の 結婚式 に 行っ た とき の こと です。   私 は AIMER という ドレス 屋 さん で 買っ た レモン 色 の ドレス を 着 て、 美容院 で セット し た ゆる ふわ な ヘアスタイル でし た。 つまり 何 も 知ら なけれ ば、 美人 じゃ ない けど 普通 の 女の子 には 見え た はず です。 新郎 側 の 男性 が、 私 と ある 男性 を 引き合わ せよ う と し まし た。 
「こいつ は エリート な ん です よ。 優良 物件 です よ」  
 彼 は 私 の 業界 の ライバル 会社 に 勤め て いる と 言い まし た。 
「笛 美 さん は どこ に お勤め な ん です か?」   
会社 名 を 言う と、 男の子 たち は 一気に 白け まし た。 私 の 会社 の 方 が、 彼 の 会社 より 規模 が 大きかっ た の です。 その 男性 の こと が 好み だっ た わけ では あり ませ ん。 むしろ そんな こと で 引く 男 なんて 願い下げ だ と 思い まし た。 でも…… こんなに かわいい ドレス を 着 て ヘア セット し て、 ゆる ふわ に 武装解除 し て い ても 私 の 職業 が 足枷 に なっ て 相手 にさ れ ない ん だ。   過去 の お 醬油 屋 さん の 広告 で、 こんな コピー を 見 まし た。 「あの 人 の 家柄 も 学歴 も、 わたし の キンピラ には かなわ ない。」

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彼 は よく「 俺 が 笛 美 ちゃん を 守る から」 と 言い まし た。 私 には お金 が ある し 自立 し てる し、 なん なら 人生 経験 も 彼 より ある し、 何 から 守る ん だろ う?   ラブソング に ある よう に、 精神的 な 意味 での「 君 を 守る」 なのかな?   いったい 何 から 守っ て くれる のか 聞い て みる と「 消防団 とか 地域 の お 祭り に 参加 し なく ても いい よう に する から」 と 彼 は 言う の です。 その 時 の 私 は、 彼 が 何 を 心配 し て いる のか、 まだ わかっ て い ませ ん でし た。

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  では、 自分 より 学歴 や 収入 が 低い「 男性 に 選ん で もらい やす そう な 女性」 は どんな 人生 を 送っ て いる ん だろ う?   そういう 生き方 が 根っから 向い て いる 女性 も いる だろ う。 それ に 今 の 日本 では、 裕福 な 男性 と 結婚 し て 専業主婦 に なる こと が、 安心 し て 子育て を する 最適 解 に 見える。 でも 万が一 そういう 男性 に 選ん で もらえ なけれ ば、 どう なる の だろ う?   もし 結婚 し た 男性 が DV や モラハラ を する 人 だっ たり、 万が一 亡くなっ たり し たら、 とても 大きな リスク を 背負い込ま なきゃ いけ ない ん じゃ ない の?   女 は 弱々しく かわいく あれ と 言わ れる。 愛する 男 に 人生 を 預ける 壮大 な ギャンブル に 賭けろ と 言わ れる。 その あと は 堅実 な 良妻賢母 になり、 途方 も なく 過酷 な 育児 という 長期 プロジェクト を 主導 せよ と 言わ れる。 なん だろ う…… キャラ 変 が 激 し すぎ ない だろ う か?   男 の 愛 って、 愛する 女 の 面倒 を 見る 代わり に、 学歴 や キャリア を 取り上げ て、 自分 の 力 で 生き て いけ なく さ せる こと なの?  「 お前 を 守る」 って 男 は よく 言う けど、 女 の 人 から すべて を はぎとっ て おい て 何 から 守る



  ニュース では 残業 時間 月 100 時間 という 労働 環境 の 悪 さばかりが 注目 さ れ た けど、 私 は どこ か ピント が ずれ て いる よう な 気 が し まし た。 実際、 広告 業界 では 月 100 時間 残業 し て いる 人 なんて ざら に い まし た。 まつり さん を 苦しめ た のは 長時間 労働 に 加え て、 女性 だ から こそ の 終わり の ない 苦しみ だっ た ん じゃ ない か?   そんな 思い が 頭 を 離れ ませ ん でし た。 女性 として 日常的 に 上司 に バカ にさ れ、 男性 より 圧倒的 に 下 の 存在 で ある こと を 自覚 し ながら、 そこ に 長時間 労働 が 組み 合わさっ た とき に、 人 は どれ だけ 自尊心 を 削ら れる だろ う。 男性 社員 なら 長時間 労働 の 先 にも 輝かしい 栄光 が 見える のでは ない か。 六本木 の クラブ や 銀座 コリドー 街 に 行け ば、 きれい な 女の子 たち に チヤ ホヤ し て もらえる だろ う し、 美人 の 奥さん と 結婚 でき て 家事 も 育児 も し て もらえる だろ う。 でも 私 たち 女性 社員 は、 はたして 彼ら と 同じ よう に 働い た ところ で 報わ れる の だろ う か?   子孫 も 残せ ない のに 生理 痛 に 耐え て 残業 する 日々 を 何 十年 も 繰り返す の だろ う か。

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F国では待機児童など存在せず、早朝や深夜も当たり前に子供を預かってもらえます。男性の給料だけで生活することは難しく、共働きの人がほとんどで、専業主婦は珍しいそうです。家族の形も様々で、シングルマザーも事実婚も多いようでした。シングルマザーの困窮は日本ほどは感じられず、「子供がかわいそう」と特別視されずに当たり前の存在として受け入れられていました。離婚を恥ずかしいと思っていた過去の自分を、逆に恥ずかしいと思うようになりました。

 もし自分で子供を出産したいなら、不妊治療は一定の年齢まで無料でできるそうです。しかも子供の教育費は大学まで無料の上に、大学生は親元を離れたときの住居や生活費の支援も受けられるそうです。

 日本にいるときの私は、結婚や出産は女という生き物に与えられた学歴や職歴と並ぶもうひとつのキャリアであり、そのキャリアを積んでいないと欠陥品というレッテルを貼られるのだと恐れていました。でもF国にいると、結婚や出産はその人の「状態」であって、その人の価値を決める「尺度」ではないと思うようになりました。

「産め。産まないと女失格だ。ただ全責任は自分でとれ」日本で私はこんなメッセージを受け取っていた気がします。

「産んでもいいし、産まなくてもいい。ただもし産むならお金のことは心配しないで」F国にいると、こんなメッセージが聞こえてくるのです。

 この国でなら、子供を産めたかもしれないな。

 ギリギリまで追い詰められた生き物は子供を産まない。生活に不自由せず、心から安心できて、初めて子供を産みたいと思うんだ。

 彼女たちは自分たちの権利のためにパレードに出かけていきましたパレードには大人から子供まであらゆる年代の人々が楽しそうに参加していて、その自由で堂々とした姿に驚嘆しました。企業もそのようなイベントに協賛することに積極的な様子が見えました。

 パレードはあまりにもカジュアルで明るく、後ろめたいことの一切ない音楽とパフォーマンスとアートに溢れたお祭りのように見えました。

 政治は恥ずかしいことじゃなく、むしろそれがイケてることになっている。

 一体どういう風の吹き回しだろう?



 ジェンダーに敏感なのは女性だけではなく、男性社員もです。世界の偉人を取り上げる企画を作っていたとき、私は教科書で習うような男性の偉人ばかりをピックアップしていました。

 すると男性社員がやってきて、

「女性の偉人を集めた本があるんだけど。ほら、東アジアの女性の偉人も載っているよ」

 と見せてくれました。

 最初は「アジア人女性の私に忖そん度たくしすぎでは?」と思ったのですが、たしかに世界の偉人が男性ばかりであるのは不自然だと気づかされました。

 ジェンダーに配慮することで既存の表現は使えなくなるかもしれない。

生理用品を会社の経費で購入してもらうというアクションを起こした子たちもいました。経費で購入されたタンポンが紙袋ではなく透明な瓶に入れられて男女共同のトイレに置かれているのは、見てはいけないものを見てしまったような衝撃的なビジュアルでした。ちなみにF国のスーパーでは、ナプキンよりタンポン売り場の方が面積が大きく、一般的にも普及しているようでした。

 タンポン未経験の私は経費で購入したのがナプキンじゃないことにドキドキしていましたが、社員の人たちは特に何も話題にしていないようでした。

 ある移民の女の子は、自分の国で中絶が禁止されようとしていることに怒り、社内で署名を呼びかけていました。なぜ中絶をするのが女性の権利なのか、なぜカトリック教会が女性の中絶を禁止しようとするのか、当時はよくわからなかったけど、友達を応援したくて署名しました。子供を産む、産まないといった生殖に関することを自分で決められるという権利は「リプロダクティブ・ライツ」と呼ばれていることを後から知りました。
 
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一度ジェンダー格差に気づいてしまってからは、過去の出来事が次から次へと打ち上げ花火のように脳内で炸さく裂れつして行きます。毎晩のように雪道を延々と散歩しながら、ふと思い出したのは性犯罪のことです。



 7歳の頃に近所のおじさんから下着に手を入れられたこと。大学生の頃に通行人に胸を鷲わし摑づかみにされたこと。マンションのエントランスで知らない若者に押し倒されたこと。おじさんにビルの隙間に連れ込まれて唇を舐められたこと。それは社会人になってからも続いた。残業で遅くなった帰り道に車で追いかけ回されたり、自転車であとをつけられて援助交際を持ちかけられたりした。おじさんが自慰行為をしながらマンションのエントランスまで追いかけてきたこともあった。変質者が怖すぎて毎晩タクシー帰りになったこと。

 私は性犯罪にあったことを、誰だって一度は経験する、取るに足りないことだと思っていました。性犯罪者の人にも家庭があるだろうし、奥さんと子供を不幸にしてはいけないと忖度したこともあります。一度警察に届けたときも「露出の多い服装が悪かったのでは」と言われました。

 もしF国だったらどうだったでしょう? 性犯罪はネタでは済まされず、犯人は社会的にかなりの制裁を受けるのです。実際にこの国では、同意のない性行為は犯罪として裁かれるそうです。でも日本では自分も社会も、性犯罪を犯人ではなく女性のせいにしている。

 それもまた女性蔑視なんじゃないだろうか?



「女の子はスカートをはくべき」と教育しといて、もし性犯罪にあったら「スカートが短いから」だと責める。日本社会は女の子にあまりにも無責任で不誠実ではないだろうか。

 #MeTooでセクハラを告発した女性たちを思い出しました。彼女たちは「ハニトラだ」「売名行為だ」と猛バッシングされ「セカンドレイプ」に晒されていました。日本では#MeTooが盛り上がらないと言われていたけど、それはセクハラの件数が少ないからじゃない。こんなに被害者がバッシングされる社会で、誰が声を上げたいと思うだろう? そして私の心の中にも、「被害者にも落ち度があった」と思う気持ちが少しでもなかっただろうか? 自分の中にある女性蔑視にも気づかされました。

 AV出演強要という問題もあるらしい。イメージビデオ撮影などの別の仕事に呼ばれて行くと、そこはAV撮影の現場で脅迫されて撮影に応じさせられることもあるそうだ。女の人を性的に搾取して再起不能にするのも、またひとつの崖なのかもしれない。

 そういえば大学生のときに知らない男性から「イメージビデオに出ませんか? 監督はあなたを見て喜ぶと思います!」と声をかけられた。私はモデル体型でも絶世の美女でもないから、若い女というだけで声をかけている=怪しいとわかった。でも、もし私がお金に困っていたりモデル志望だったりして、あのスカウトについていってたら……?



 奇跡だよ、いまこうして無事に生きていられるの。なんでこんなにたくさんの崖があるの? しかも崖から一度落ちたら、這い上がることも難しくさせられている。

 日本の女の人は守られていなさすぎる。私はたまたま生きのびることができた。でも日本社会はどれだけ女性を粗末に扱い、女性の声を聞かず、黙らせ、その能力や性を無駄遣いしてきたのだろう。

 
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久しぶりの山手線の中では、脱毛と整形の広告がめっちゃ多い。たまたま出稿が重なっただけなのだろうが、国を挙げて「美しくなれ」とプレッシャーをかけられてる気がする。

 多種多様な年代や性別の人々を描く広告では、必ず制服を着た女子高生がセンターにいて、おばあさんやママさんは端に追いやられている。人種も日本人だけだし、車椅子の人とかもいない。女性向けの広告も雑誌も、「自分らしく」とか「あなたらしく」とか、キャッチコピーでは言っている。でも「自分らしく」も「あなたらしく」も、男の人にお許しをもらえる小さな枠の中におさめられている。間違っても「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」なんて書かれたTシャツを着てはいけない。

 この国にはアイシャドウの色を選ぶ自由はたくさんあるのに、生き方を選ぶ自由はあまりない。その小さな自由の中で、洋服やコスメやグルメや婚活や、たくさんの商品が提案される。狭い中でしか自己表現を許さないくせに、そのルールに適応した女の子たちは「量産型」とバカにされる。
 
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今日も、打ち合わせが長い。

 会議室の中で腐りそうになりながら、男性の同僚たちの様子を眺めていました。あいかわらず女は私ひとり。ずっと同じことをグルグル話していて、次回までに何をするかも決めないまま打ち合わせが終わる。生産性が低いのは効率だけの問題と思ってたけど、本当は彼らは長い打ち合わせが好きなのかもしれない。家事・育児を奥さんに丸投げして、たっぷり残業する男社会。

 上司が「がんばれ」と言う。

 部下は「がんばります」と応える。

「がんばる」とはどんなタスクなんだろう? 何を以もってして「がんばる」なのかわからず、みんながそれぞれの持ち場で孤独に「がんばり」を抱え込みながら生きている。

「がんばり」だけの仕事は辛い。でも楽だ。だって目的とか改善策とか考えずに、ただ従っていればいいんだから。いつしか改善するのを諦めて、クライアントや上司の無茶振りに無感情で従うマシーンになる。それがいちばん楽だ。ひどい無茶振りに悪態をつくことで、仲間との一体感も生まれる。それもまた楽しかったりする。



 日本人はF国人より、能力が劣っているのだろうか?

 能力がないから生産性が低く、長時間労働になりがちなのだろうか?

 いいや、そうじゃない。

 日本人の方が優れている面もいっぱいあるし、なにより圧倒的にがんばり屋さんだ。違うのは「がんばり」の使い方なんだろう。日本人はその「がんばり」を、苦しみを我慢することに使いすぎている。

 だけどF国人は理不尽な我慢をしない。理不尽な我慢を極力しなくとも、人間らしく生きられるように社会がデザインされているからだ。彼らはそういう社会やコミュニティを作るために、「がんばり」を使ってきたのだろう。

 F国人にできることなら、日本人にもできるんじゃないだろうか? おなじ人間なんだから。日本人が我慢するために使ってきた「がんばり」のほんの一部でも、社会から苦しみを減らすために使えたとしたら、世の中だいぶ変わるのではないだろうか?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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