野菜デモのブログ

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反ワクチン運動と民主主義

2022-01-01 12:46:48 | 雑感
今回は「反対すること」について書いてみました。
もし良かったら読んでください。
(鈴木)
 
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最近、菅義偉さんのワクチン政策を評価する声を聞くようになった。
「こんだけ感染者が少ないのは菅さんが頑張ったおかげだ。
辞めさせられたけど、もったいない」
というものだ。
感染者が少ないというのは韓国と比較するとそうだけど
東南アジアでは普通のことらしい。

それはさておき、仮にワクチン効果だったとしよう。
でもそれは菅さんが頑張ったからではない。
欧米が接種が進まない理由は
供給が遅いわけではなく
激しい反ワクチン運動があるからだと思う。

僕がワクチンによって感染者数が抑えられていると思っているから
接種した人が多いことはイイことだと思っている。
ただ、民主主義にとっては良くないことでは?と、疑問をもった。

「欧米の人たちって権利、権利ってバカみたい」
と蔑む言葉を何回か聞いた。
ことコロナ対策だけを見れば合理的な選択だ。
従順にワクチンを打ち、マスクもする。
でも、だからこそ日本社会は変われないのではと
ハタと気づいた。

話は飛ぶけれど
批判する時に「是々非々で」とかって聞くようになった。
僕がこういうことをするようになったのは
3.11からなので10年ぐらいになるけれど
ずっと思ってきたは「何でも反対してれば良い」ということだ。
それだけじゃ共感して貰えないから
知ったふうなことを言ったりするけれど
実のところは何も分かっていない。
でも、それでいいと思ってる。
だって市民なんだから。

たとえば、沖縄の米軍基地の問題。
訳知りげに「沖縄は反対一色しゃない。
本土の人には分からない複雑な事情がある」と。
アホかと思う。そんなこと当たり前じゃないの。
戦後ずっっーーと広大に基地があるのだから。
それに統治するために分断を煽ってきたのだから。
それでも、選挙では反対の民意ばかりだ。

もっと言うと、沖縄の人たちが賛成していても
東京の僕が反対しても良いのだ。
こう書くと「当然でしょ」と言われそうだけど
当然じゃない空気を感じる。
反対すると、
「こんなこともあるだ、あんなこともあるんだ
そんなことも知らないで反対してたのか」
という人たちが出てきてバカにする空気。

どんなだって、物事っていうは多面的でしょ。
こんな大きな問題じゃなくても
自分のことに置き換えて考えても
親子関係にしても会社のことにしても
一方的に自分が悪いとか
一方的に相手が悪いなんてことはないわけで
だからそういう意味では
「物事をネガティブに捉えるのではなくポジティブに捉えて
問題を解決していこう」
みたいな手法は有効なんだろうけど
それと一緒にしないでくれって思う。

たとえば、原発問題。
3.11から一貫して7割ぐらい人たち反対している。
けれど、何とかして復活させようとしている。
要は向こうは圧倒的に権力もお金も持っているわけで、
幾ら反対したところで
「はい、そうですか」なんてことは起こらない。
じゃ、意味がないかと言うと、そうではなく、
殆ど再稼働していない現状は、
反対する声が大きいからだろう。

「提案型」っていうけれど、
「その提案、素晴らしいですね。気づきませんでした。受け入れます」
なんてことは見たことがない。
方向転換するときは世論が盛り上がったときだ。
その盛り上がるときは
「こんな提案があるから、こっちにしよう」というより
「反対だ!!」というときだ。
それを受けて、政権側が妥協していく感じだ。
 
「反ワクチン運動」は僕は間違えだと思う。
でも、それも民主主義の大切な原動力ではないだろうか?
 
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