曽野綾子の『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』は大江健三郎が『沖縄ノート』でこの守備隊長を断罪しているのに対して自分はそのように人を断罪することはできないという旨の批判をしている。加藤陽一氏は前掲の書評の中で大江健三郎をファシストであるかのように「断罪」しているのだが、それはいただけない。
加藤氏の書評を評価して同研究所ニュース『りべらしおん』No.24で、同研究所長の西尾紀臣氏は「大江さんが独自の現場取材をしていれば、もっと説得力のある曽野さんへの反証になったのではないか」と記している。そういうわけで大江健三郎の『沖縄ノート』を読んでみた。実にいい本だ。懐かしい本だと言ってもいい。60年代末期から70年にかけての時代とその思想が読み取れる。
言えるのは後世の史実論争の中に大江健三郎を巻き込むのはおかしい。大江は人間論を語っているのである。曽野の大江批判もそこにある。大江が「あまりに巨きい罪の巨塊」という表現に対してそのように異論を唱えているのだ。大江に歴史的事実を調べろと言うのは筋違いであろうと思う。もちろん、当該人物は大江と裁判で争っているのだが、そのことと書評の文脈とは違う。
『沖縄ノート』は名文だな。
加藤氏の書評を評価して同研究所ニュース『りべらしおん』No.24で、同研究所長の西尾紀臣氏は「大江さんが独自の現場取材をしていれば、もっと説得力のある曽野さんへの反証になったのではないか」と記している。そういうわけで大江健三郎の『沖縄ノート』を読んでみた。実にいい本だ。懐かしい本だと言ってもいい。60年代末期から70年にかけての時代とその思想が読み取れる。
言えるのは後世の史実論争の中に大江健三郎を巻き込むのはおかしい。大江は人間論を語っているのである。曽野の大江批判もそこにある。大江が「あまりに巨きい罪の巨塊」という表現に対してそのように異論を唱えているのだ。大江に歴史的事実を調べろと言うのは筋違いであろうと思う。もちろん、当該人物は大江と裁判で争っているのだが、そのことと書評の文脈とは違う。
『沖縄ノート』は名文だな。
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