新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

情報化委員会

2005年09月26日 17時55分03秒 | 管理・運営
 本日は情報化委員会を10:30から開いた。議題は人環のHPの刷新である。いろいろ組織の再編があったりしてもそれを日常的に変える体制がとられていない。それで、今年は実践臨床心理学専攻も立ち上がったし、来年からは教育臨床学コースも立ち上がるし、21世紀COEも進んでいるし、大調整や微調整が次々と来る予定なのでこまめに書き換えていく段取りを作らなくてはならない。で、K米センセにたたき台を作ってもらって段取りをつけた。
 そんなもんで、昼飯はうめーもんでも食おうかとK米さんを誘ってそばを食べに行った。F県立大学に非常勤に行ってた頃は大学に帰る途中立ち寄っていたが、昨年やめたのでなかなか行けなくなっていたのだ。場所はちょっと遠いが、ドライブには恰好のところだ。八木山峠を越えたところで山中に入った古い農家を再生した蕎麦屋だ。日吉庵という。川のせせらぎの音と目の前を覆う緑の風景が会議に疲れた脳を癒してくれる。おすすめ。かつてW研究院長に勧めたら愛用しているらしい。maronさんをお連れしたこともあるが、彼女は迷いそうなので一人では行けない、のかもしれないが、その時は感動していた。飯塚の近大九州短大のM木くんは通勤途上なのでたまに行っているらしい。
 2年ほど前にこの店を訪ねた際に作った作品(『塔』2004年5月号)。

新蕎麦の出始めらしい 座敷には蘊蓄垂れる男らの声
                        休呆

 おりしも店主曰く、「新蕎麦が入荷したばかり」とかで、「うまいと思うけど、まずかったら二度と来ないで」という店主の自信はともかく、竹を割った器に寝かされて運ばれてきた蕎麦の緑かかった艶と官能的な香りに「ああ新蕎麦だなあ」と胸がときめいた。いい蕎麦と出会ったときは恋とよく似たときめきを感じるものだ。たまらず箸を出して蕎麦を啜る。これを「くちづけのよろこびといふ」と言い切ったのは誰だったっけ。ともかく、こういう良い蕎麦のときはつゆをつけすぎてはならない。昔から蕎麦通は蕎麦の先にちょこっとつゆをつけて喰うのが粋とされたが、その通人が死ぬ間際に「一度だけたっぷりつゆをつけて蕎麦を喰いたかった」と言い残したという逸話がある。しかし、それはその辺の立ち喰いそばなんぞを蕎麦だと思っている人の話。今日の日吉庵の蕎麦は心底つゆをつけるのが惜しくなるほど蕎麦の香りと味が良い。
 そばセットを頼むと突き出しに中津江村の椎茸を備長炭で焼きシシリー島の岩塩で味付けたものがいい味の自家製もろみを附した胡瓜や葛菓子、季節の果実などと出てくる。なかなか粋だ。そして先程のもりが出てきて、食べ終わって頃を見計らって温かい田舎そばが供される。こちらは挽きぐるみの薫り高いそば。もりそばのあとに食すとホッとしたやさしさを感じる激しい恋との出会いがやさしさの中に実を結んでいく、そういう心憎い組み合わせになっているのだ。
 で、今回大盛りがあることを知った。もちろんもりそばが大盛り。
蕎麦の蘊蓄―五味を超える美味しさの条件

講談社

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