八尾北医療センター労働組合

藤木 好枝 執行委員長

戦跡めぐり(八尾市)をしました 旧陸軍大正飛行場(現八尾空港)跡を中心に

2021年04月21日 | 女性解放闘争
婦人民主クラブ全国協八尾支部より投稿






4/14は、婦人民主クラブ全国協八尾支部と八尾北命と健康を守る会が合同で、旧陸軍大正飛行場(第11飛行師団)跡を回りました。案内してくださったのは前回に引き続き「河内の戦争遺跡を語る会」の方です。総勢12名でした。ゆっくり回ってもらいました。
 まず第11飛行師団司令部跡へ、次に防衛のために作った堀(墓地など都合よく端に移動)跡を見て、修理工場などがあった場所、最後に大正飛行場跡を回りました。飛行場は、自衛隊基地や府警などが使っている滑走路の方は立ち入れませんでしたが、管制塔や、民間の放送局や新聞社などのヘリの格納庫などを門を入って見ることができました。ヘリ一機でもメチャクチャな轟音で,沖縄や成田や米軍の超低空飛行訓練への怒りの大きさを思いました。
戦跡めぐりを通して「何もかも決定で押しつけ」、「人の土地も家も勝手に収用し、いらなくなったらほったらかし」、「防衛最優先で基地の周りにはいっさい建物を建てさせない」と言うお話に、「子どもの頃は家の窓からずっと空港の向こうまで見渡せた」(参加したTさんの話)などもあり,政府のやり方は「今といっしょやなあ」と戦争反対の気持ちをいっそう強くしました。










上段 
(左)第11飛行師団司令部跡-壁のコンクリートの厚さは1,8mもあった
(中)司令部跡の石碑
(右)旧陸軍大阪飛行廠跡地(飛行機の組立、修理、整備などを行っていた)・その労働者の通用門の跡がある。物資は竜華の操車場から線路を引きこんで輸送していた。
下段
(左)第11飛行師団司令部の地図と写真。名古屋から西日本一帯の防空を担っていた。今でも大阪都心に直結する予備の空港として重要な意味を持っている。大きな道路は全て滑走路を兼ねる。
(右)堀の跡。色んな所のお墓を右上の片隅に動かした。
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