あまり適当な話題ではないかもしれませんが、今日ニュースを聞いていて気がつきました。
中国語で遺体の量詞は「具」なんですね。確かに命が消えてしまうと物体と化してしまうので、中国語としては生命体である「体」は使えないのだろう。
しかし、逆に日本語では「具」は使えない。
日本語で「具」というと用具、道具と言うように「もの」を連想してしまい、死者への冒とく(大げさ?)になってしまう。亡くなると仏になるという死者への尊厳の気持ちから(と思うのですが)遺体にも「体」の量詞を使う。
日本人は死者もお盆には帰ってくるとか生きているものの身近に死者も存在するとかという事を受け入れる事ができる。
これは日本人の死生観だ。
一方中国では生きているものの世界と死者の世界は相容れない。
もし遺体の量詞に「体」を使ったら生と死の超えてはならないラインを超えてしまって中国人にとっては恐怖感ある中国語に感じるのではないだろうか
ちょっと展開しすぎかもしれないけれど、量詞の中に日中の死生観の違いを感じました。