どこへたどりつくのか

いつまでつづくか

京アニ事件

2023年09月21日 | 時事
京アニ事件

最初の頃は、盗作とかもしかしてあり得るのかなぁと少しだけ思っていたのだけれど、最近の報道を見ると本当に日常的にある光景を盗作とか言っている。それが盗作ならほぼこの世は盗作だらけとなってしまう。しこも3件のうち2件は京アニのほうが早いという。何をかいわんや。

それと母親がすぐ人のせいにするのは父親と同じと言うような発言をしていた。
で思ったのだけど、大体の人は成長してどこかの時点で、多角的に見るとか、他の人の立場に立ってとかを、自然と覚えるのだけれど。なんかここらへんが抜けて入ろうか気がする。最近も自分も思い込みとかしたりするけれどいろいろ考えて氷解することもある。
成人しても、いろいろな角度から見てみるということが出来ないというか、自分の目線でして考えれない人は一定数いると思うので非難するだけでなく、そこら辺をちゃんと誰かが導いてあげないといけないのではなかろうか?
たとえば書物経由でもいいのだけれど。

起こったあとでなく学校とかで真正面から学ぶべきところではあると思うのだけれど。
私も教えてはもらったことがない。
そういうことを教える機会はいくらでもあると思うが。そうすれば犯罪の何割かは少なくなると思うけれど。

道徳の授業って今もあるのだろうか?
私のときはあっても、なんか理由つけてあまりやらなかった記憶が。先生があまりにも聖人君子的にやろうとするからあかんのではなかろうか?同じ目線でやって何かあったら自分も注意してねという立ち位置でやればいいのではなかろうか?だけど先輩よ、みたいな立ち位置で。

そういえば、子供の頃、個人主義とか言われたなああ。その頃、個人主義という言葉が流行ったのを最近知ったのだけれど。

人間どこまで行っても自己中ではあるのだけれど。
私も偉そうなことは言えない。