昨日はテレビで次のニュースが流れ、耳が釘付けになった(こういう場合、釘付けじゃなくて何と言ったらいいのだろう)
地震で崩れた亀山城多門櫓(やぐら)の石垣のうち、崩れたのは1972年に修復した場所で、江戸時代に積まれた石垣は無事だったことを確認した。(毎日新聞)
しばしボーゼン。
その後、次の事実を知った。
江戸時代の石垣は、奥行きの長い石を斜めに重ねて積み、重さが奥の方向に抜ける構造だったという。多門櫓の正確な築造時期は不明で、江戸時代末期までに築造されたらしい。(毎日新聞)
必ずしも1972年の修復がまずかったとは断定できない。なぜなら、修復したということは、その時点で江戸時代に築いた石垣が崩れたということだからだ。そこは崩れやすい場所だったのか。それに後から付け足したところが、また崩れやすそう、ということはなんとなく分かる気がする。
でも、現代は江戸時代より進んでいるわけではないのか。江戸時代は重機も使わず、そのような奥に長い石を使って築いたのだから、すごい。重機ができれば、そこで使われた知恵はなくなっていく。
写真は、恵那市内の石積み。ここの集落は「天空の城ラピュタ」やマチュピチュ遺跡を思わせる石積みの棚田でできている。砂防ダムに見えることもある。機能美といっていいのか、角度は全く垂直のところもあり、反り返って見えるとこともある。「片田舎」の石積みは、ゲージツである。ゲージツは有名建築家の建てた都会のおしゃれなビルだけではない。
恵那の田んぼでは、石垣とも石積みとも言わず、石かけと言うことが多い。