劇団夢桟敷 ☆2018.6〜山南ノート5

熊本アングラ万華鏡〜演劇とプライベートの徒然

熊日連載14「わたしを語る」(23)2009ブラジル公演②

2020-05-11 22:09:55 | 2020-2022 日記

熊日連載「わたしを語る」(23)

昨日に引き続きブラジル移民劇、いよいよブラジル公演に向かう2009年。
2008年4月の熊本公演で、神戸より100周年移民船笠戸丸出航記念式典に出席されていたブラジル日伯協会、熊本県人会、ニッケイ新聞社の方々が公演を見に来てくれた。
(公演目的ばかりではなく、熊本日伯協会との交流会が目的であり事前に予定していたという)
終演後の打ち上げの席で「是非、ブラジル公演に来て欲しい。」の声がかかり、調子に乗って全員一致で「行きます。」となった。…後先のことは考えていなかった。
決めてから、周りの人たちから随分心配される。
「おカネはどうするの?」…「無い。」
「どれだけおカネがかかると思う?」…「無い。」

ブラジル公演の前に調査や事前打ち合わせのために脚本を担当した田中瞳(通称ミンミン)と私の2人でブラジルに渡ることになった。
サンパウロ空港に到着すると日伯協会の方が迎えに来てくれていた。サンパウロ市リベルラーデ(東洋人街)にあるニッケイ新聞社や熊本県人会などと繋いでくれ、プロミッソン市(ブラジル移民の父と称される上塚周平氏の眠る地)〜ユバ〜ピラルドスールなどを周った。
ブラジルの人々の顔が見えた。
直接お会いすることで歴史資料の学びを一気に超えてしまい、現実味が増す。
帰国後、ブラジル公演に向けて稽古は更に厳しくなった。ただの発表会では済まない。
何よりもカネの問題を解決しなければならない。渡航メンバーの手出しも条件となったが、熊本県や新聞社、放送局の助成金を獲得するために奔走する。国際交流基金からは認められなかったために寄付金集めに日常が費やされた。手続きの協力者があって出来たことである。地元熊本の支援や個人的な寄付金がなければ実現できなかった。
手出しも含めて、「カネがあるからできる」お役人的な交流、演劇公演ではなかった。
2009年2月、サンパウロ州4会場2000km行程旅公演は実現した。これは同行取材してくれた毎日新聞記者さんが特集を組んでくれた。

プロミッソン市で上塚周平氏の墓守をされている安永大ファミリーとは家族も同然、親の血を引く兄弟よりも強い絆が作られた。なんとKodoさんとShinichiさんの2人は現地で劇団員となった。ブラジル日系社会の底力にもおんぶ抱っこされてのことだった。
この報告書は2018の2度目のブラジル公演でも支援をお願いする貴重な実績資料となった。
初のブラジル公演でブラジル移民の歴史は他人事ではなくナマの声や体験を聞くことにより、自分の事として捉えられるようになった。
この時のメンバーが集まるとそれぞれが個別な歴史観とこれから生きて行くバネになっていることが確認できる。
カネに換算できる問題ではなかったと実感している。


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