劇団夢桟敷 ☆2018.6〜山南ノート5

熊本アングラ万華鏡〜演劇とプライベートの徒然

週刊月曜日 第46号 水俣計画①

2023-06-26 13:18:28 | 2023年
劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第46号 2023.6.26発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/

【劇団夢桟敷公演告知】
第49回 熊本演劇フェスティバル参加
 夢現ひとり芝居+1
 11月17日(金)18日(土)
「苦海からの呼び声」夢現(作 出演)
 Movie「不知火幻視行」プロモーション
熊本市国際交流会館5F和室大広間
(予約開始は9月より)

(関連協力公演)
井上弘久独演会
 9月16日(土)
「石牟礼道子 椿の海の記〜第二章 岩どんの提燈」
熊本市国際交流会館5F和室大広間


プロローグ(序)

水俣病の「水俣」というネーミングを外して欲しい!と言う声を聞いたことがある。「水俣と言われることに差別を感じる」と言われる。
原爆を投下された広島や長崎も地名で呼ばれる。
水俣も含めて広島も長崎も世界で通用する地名だ。
MINAMATA-HIROSHIMA-NAGASAKI
ローマ字で世界は通用する。
原爆の悲惨、公害の悲惨…その悲惨さが強烈な「負」の世界になる。
負の遺産でも割り切れない。引き算で語れるものでもない。隠すわけにはいかない。
亡くなられた方々の無念さや悲しみ、今も苦しんでいる症状や生活の不便さに加えて「補償金欲しさに裁判が行われている」という心なき患者さんたちへの差別や偏見もあることも確か。暴力である。
豊かさの暴利を貪りながら、同時にその過程で発生した甚大な被害を隠そうとする側が市民を分断する。
その分断を直接見ることは難しい。
が、どの側に立つかによって分断が見える。
わが演劇に中立なし。患者側に立った物語。
水俣は熊本、熊本は水俣である。しかし、ナショナリズムは排す。
私たち夢桟敷は熊本で生きている。これが劇の寄って立つラインである。

チッソ株式会社は化学工業として水俣市を中心に発展してチッソ城下町と言われた歴史がある。不知火海沿岸、天草まで発生した水俣病の原因を作った。
旭化成、積水、日本ガスなど日本でも巨大な資本の母体企業。
資本主義の「怪物」として、そこから恩恵を受ける地域の労働者や住民と魚を獲って暮らす漁民たち(水俣病の発症者たち)との対立矛盾関係として分断されてしまう。差別と抑圧された人々がいる。
ここに社会的(政治経済)問題の根源がある。水俣の問題は現代社会の矛盾の縮図でもあり、ここから明るい光を求めることは希望の手掛かりにもなるだろう。
明るい光を阻害するものとは?患者さんたちを差別する人間の無知から来るものだろう。
全知全能は無理だとしても差別する要因は大なり小なりの無知と無恥から始まるのではないだろうか?
又、立場変われば政治経済権力の座にいる有知がご都合主義によって人を騙す。無知が騙されると孤立を生み出す。それが分断の正体か?
世界中に広がる豊かさを求めた結果のしっぺ返しとしての公害問題。
公害に限らず、戦争や貧困、命の危機に繋がる地球全体の根源を見ることができる。
気をつけないといけないのは分断が成功すると手のひら返しの「団結」が叫ばれる恐怖。数の暴力が横行する。

大きなことを大きな態度で大きな声で叫びたいが、劇団夢桟敷はいぶし銀である。とりわけ座長=夢現(坂本真里)のひとり芝居はじわじわ来る狂気と哀楽いぶし銀、「怨」の黒旗を立てる。
こころを揺さぶられるか?喜怒哀楽はあるか?
作品のための作品ではない。次の世代に繋げよう。
自称、アングラ!他称、アングラ?
アングラの「あ」の字はどう書くの?
こう書いて、こう書いて、こう書くの。
あっ!
踊れるか?オドル。
アングラ劇の側から水俣の演劇に挑戦する。

1980年の頃、「空飛ぶ魚」と題した水俣病をテーマに小劇をやったが、文学や美術を意識して空回った経験がある。
ゲージツを気取ることはしない。
演劇で闘争できるか?
社会主義リアリズムを背負って議論した時代もあったがシュールに越された。
表現分野では独裁も民主主義も基準にならない。とりわけアングラ劇は下からの出現である。
出れば叩かれるモグラ叩きで打たれ強くなる。
「演劇はプロパガンダである!」と言って演劇が炎上したこともある。ネチネチネットの炎上ではない。
その時はプロパガンダの意味が不明で吐いたに過ぎなかった。公演終了の打ち上げ飲み会の席だった。ケンカするほど仲良くなる時代だった。

安心してください。rest assured.
社会主義リアリズムもプロパガンダも、夢現ひとり芝居+1の「1」には含まれていない。
「プラス1」について次号47号(6月30日)発行につづく。
徐々にMINAMATA PROJECTのベールが剥がされる。