劇団夢桟敷 ☆2018.6〜山南ノート5

熊本アングラ万華鏡〜演劇とプライベートの徒然

週刊月曜日 第43号 幻視行

2023-06-14 21:53:51 | 2023年
劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第43号 2023.6.14発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/

「幻視行」アングラ劇についての走り書き。故に突っ込みどころ多々あるだろう。防御の甘さで育つ。アッチー!
演劇や演技の表現に嘘があってはならない!とする馬鹿正直にはうさん臭い屁理屈に思われるに違いない。あるいは意味不明か。
今回はアングラ演劇革命1967年〜1970年代前半の特徴から現在の夢桟敷を点検する。

夢か現(うつつ)かマボロシか?
演劇プラス1。…その1(イチ)を寝ても覚めても追い続ける。

アングラ演劇(小劇場)は1960年代後半から’70年代前半にかけて登場した演劇革命だとされている。
雨後のたけのこ乱れ生えのように!
その旗手がアングラ四天王と言われる
・状況劇場(唐十郎)
・天井桟敷(寺山修司)
・黒テント(佐藤信)
・早稲田小劇場(鈴木忠志)
その時代は同時多発的に「新劇批判」として日本全国各地(主に都市部)に乱立した。
今ではクリリンと目が回って新劇運動にも大いに関心が深まったが…。
私たちは60年代後半からのアングラ時代に遅れて出発した。「遅れて出て来た青年たち(今や老人)」である。
当時のアングラ小劇場は「セーノ!」の掛け声で出現したのではなく、無作為の自然発生に見えた。一筋縄ではない出現だった。一括りは難しい。
しかし「新劇」も一括りでは収まらない。政治と芸術に揺れた時代もあった。新劇は一枚岩ではなかった。
同じようにアングラ劇も迷える「日本型前衛」として一括りできない。それぞれのアングラ劇団には独自性と共通の時代背景がある。
新劇とアングラ劇の対立関係は各々の内部でも行われている。1968年から70年代前半までの内ゲバだったか?急激に演劇が進化変化・消滅?再生?した時代だと言えるだろう。
20世紀後半の日本演劇にとっては必然だったとも思えるが。

演劇の運動、「内」と「外」について。
その共通項は「表現の革命」と「演劇と社会との関係を変革する」ことにあったと言われる。
いかにも政治的である。プロパガンダか?アジテーション(叫び)であったことは否めない。言葉は肉であった。肉体言語とも言われる。
新劇が戦後民主主義の啓蒙であれば、黒テントのように硬直した政治活動に異議を唱える演劇の運動、戦後の左翼運動に対して批判的な政治性もあった。議会制民主主義既成の革新政党への物足りなさからきたのか?どちらかと言えばアナーキー(無政府主義)にも見える演劇の運動か?
演劇を政治的に見せる身振りは曲馬館(下層階級の視点からテント演劇活動)にも通じた。他にも続々とあり割愛する。
固有名詞に理解不能な若い世代には申し訳ない。若いタレントの名前を覚えられないジジイを笑え!
ジャンケンポン!アイコでアメリカヨーロッパ♪
人によっては「念仏御免」である。

演劇の「内」(小劇場)から「外」(街)へ。
・「密室から市街へ」市街劇
・「移動する劇場」テント芝居
これもアングラ劇に象徴される。
アングラ元年を1967年だとすれば、同時にベトナム戦争の激化と世界中で広がった若者たちの反戦運動(スチューデントパワー)とは無関係だったとは言えない。
日本の保守勢力においては日本にとって都合の悪い歴史や文化を消し去ろうとしていたが、当時の若者演劇では日本高度経済成長の闇・暗黒部分を下から撃つことがアングラの方法だったとも言える。太平洋戦争などの闇も表現された。
リアリズム演劇ではなく、こころの内部が幻想的に表現される。歴史的事実と残虐な真実、人間の強さも弱さも交差して見える。
アッパーパンチである。演劇が文化としての「暴力」の花を咲かせた時代であった。新左翼出身のブンカ人、社会評論家たちの格好の論(ロン!リーチ!)も生まれる。(太田竜、竹中労、平岡正明などと名を出す勇気?)
同時にヒッピー、フーテン、サイケ、フリーセックス、マリファナなど1970年前後のスチューデントパワー(ニセ学生含むルンペン若者層)は地下の文化がカウンターカルチャー(映画・音楽・美術)としても広がった。その総称を「アングラ」と呼んでいた。
健全と思っている市民(大人)にとって「アングラ」は蔑称であった。つまり不健全な文化だと。…そうだろうか?健全とは何だろう?
今やアングラも権威に堕落しているか?
ハテナは失敬!のココロだぁ。(笑)
お笑いのM-1ではないが、賞取りに盛り上がっているのも小劇場と商業演劇の中堅世代の現実。

ところで、
夢桟敷の「幻視行」は2023年MINAMATA PROJECT と称してアングラ劇の手法で「水俣病」を捉えようと企み中。美術界で言われる幻想派ではない。
隠蔽された水俣病への差別や偏見を劇的に立ち向かおう。
大丈夫だろうか?「水俣病を物語にしないで欲しい。」の声もあった。
以下のような方法で模索している。
〈アングラの特徴〉
・意識と無意識
・正気と狂気
・正統と異端
現代の価値観では下からの復権。
〈合理性や論理性〉に対して〈夢〉などが対峙される。
演劇はアカデミックに水俣病を説明するものではない、という心情が渦を巻いている。

作家の言葉たる文学の再現か?...には治収まらない劇はあり得るか。作家の想像力が支配する劇、俳優は文学の絵の具か?声か?
アングラ劇は文学の力関係が逆転する「肉体」として現れることを目指す。
強靭な肉体もあれば、今にも消えて無くなりそうなか弱い肉体もある。
アングラの物語が難解だと思われるのは従来の物語が現実からの解放を求める幻視があったからだろう。言い換えれば現実逃避とも思われるが、暴力的に非難する力がある。避難の時代が今だ。
身体と言語の関係が問い直される。

以下、何10年も再読、再思考、繰り返すテーマをメモ。

「迷路と死海」寺山修司
「特権的肉体論」唐十郎
「眼球しゃぶり」佐藤信
「内角の和」鈴木忠志
「言葉への戦術」別役実

「幻視行」は未完を予知しながら永久革命である。
まとまりのつかない「突っ込みどころ」を自らも探す。まとまりの無さはつづく。
これより次回公演に突っ込みを入れましょう。(笑)

【劇団夢桟敷予告】
1.井上弘久独演会(協力:劇団夢桟敷)
 9月16日(土)
「石牟礼道子 椿の海の記〜第二章 岩どんの提燈」

2.ひとり芝居+1
 11月17日(金)18日(土)
「苦海からの呼び声」夢現(作 出演)
 Movie「不知火幻視行」(山南・夢現 共同演出/出演者後日発表!)
熊本演劇フェスティバル参加
(注)会場は1.と2.いずれも熊本市国際交流会館5F和室大広間