劇団夢桟敷 ☆2018.6〜山南ノート5

熊本アングラ万華鏡〜演劇とプライベートの徒然

週刊月曜日 第27号

2022-11-28 15:37:39 | 2020-2022 日記
劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第27号 2022.11.28発行〉
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書いては消して、消しては書く。
作っては壊し、壊しては作る。
「解体と構築」と言えば、わかったようでわからない。
あーでもない、こーでもない。これの繰り返しで続くか?諦めるか?
何ば、言っとっと?
要は辞められない芝居。演劇依存を自覚認知しながら「症」である。
生活習慣病は医療用語だけではありません。薬や手術では治らない病気もあるでしょう。それは…
病気は職業にもあり、抜けるに抜けられない、足を洗うにも落ちない垢、小指を切っても赤い糸…役者とコジキは3日やったらやめられない!とは無間地獄・地獄巡りのことではないでしょうか。
言葉の使い方に問題があろうとも、ここまで続くと希少価値・良い意味での絶滅種、化石に近くなるのではないでしょうか。
自虐史観はポジティブである。
ナマモノの世界にとり憑かれて劇団夢桟敷はアト7年で半世紀50年になろうとする。
ここまで来たら「症」と言っても過言ではない。(笑)
私はあなたの病気です。あたしの名前は病気です。
演劇という疫病が流行する日はコロナ禍にあって改めて飢えています。
まずはボディーブローが効いて倒れそうになっていますが、テンカウントがかからないようにしましょう。


井上弘久独演「椿の海の記」(石牟礼道子)に接して。

11月23日熊本市・11月26日水俣市
無事終了しました。
この際の「無事」とは何でしょう?
私こと山南は少々、心残りがあります。
それは演劇公演の受け入れ人としての虚しさだったのかも知れません。
それと、
どれだけ石牟礼道子文学を知っていたのか?それへの強い想いがあったのだろうか?
水俣に対する想いは?水俣病という公害への怒りや理不尽さがどれだけ深いか?
理解していたのだろうか?
そのような半端な気持ちがありましたが、役者・井上弘久さんとの密着は自分を客観的に見る良い機会だったと思います。
何故か他人事ではありません。同じ経歴や生き方や考えでもありませんが、年齢が同じで〈時間と時代〉を共感できる数少ない方だったと思います。
まして、1980年代に話題となった沈黙劇「水の駅」に出演されていた転形劇場の役者さんだったことにも唆られていたのです。
同時代の人とは?…混沌の演劇体験は多くを語り合わなくても響き合えました。
時代は演劇分野だけではなく、社会現象や時代の病巣とパワー!流行の移り変わりを体験した者として共感や違いも確認できる数少ない方だったのです。
舌足らずな文学・反文学を語り合うというよりは、演劇や舞台で表してみたいものです。
ひとつ、音楽担当の吉田水子(みなこ)さんのラスト近くの「数歌」の場面には痺れました。無から永遠に〈数〉は宇宙の星の無限大に拡がるようです。
誤解されることを恐れずに言うと、言葉(セリフ)は音だ!音には人をエクスタシーに導く不思議な力があるように思います。喜怒哀楽があります。
言葉の意味と伝達手段の役割に止まらず、そこを超えた音!があるように思えます。
身体と音が一体となる時、見えなかった空気や感情が色づいて見えます。
「声の文学・現代の浄瑠璃」と評された田中優子氏(江戸文学・江戸文化研究者)を理解しているのではありませんが、今後の課題に演劇の現場で試行しましょう。
尚、「椿の海の記」石牟礼道子文学については水俣の社会的事件である公害「水俣病」との関係で、海の美しさは悲しみや怨が深ければ深いほど記憶の底で恐ろしいほど美しく光輝くマボロシや鬼火、不知火への想像力が高まります。
これは地域の狭い世界ではなく、国境を超えて行くMINAMATAであると考えます。
世界中の人類はECOや自然環境保護に真剣に立ち向かう時代になっています。
多面的に対処される時代になってきました。
豊かさとは何でしょう?
公害を垂れ流した経済や産業の経済価値〈富〉ではなく、水俣の海や山、町に住む人々の心の景色から豊かさを学びたいものです。


夢桟敷2023活動
MINAMATA PROJECT について

2023年の春に向かって、
二部構成で計画を練っている段階です。
二部構成とは、
1.一人芝居「苦海浄土」
 夢現(坂本真里)脚本・出演
2.実験映画「不知火 SHIRANUHI」
 ハプニング演劇手法(訪問劇・市街劇)による映像発表。

以上、私たち夢桟敷は常にリベンジです。
何に対してかと問われれば、それは「力不足の我」ということになります。
劇団での〈我〉は集団でありますから〈我々〉と言った方が良いでしょう。
我々!が通用する時代かどうか疑問でありますが、だからこそ集団の意味が問われるこの頃になってきました。
個としての我の力が強すぎると独裁と思われがちです。その証拠に夢桟敷はわがままな独裁者いると影で言われます。笑
耳が遠くなった割には批判の声はよく聞こえます。地獄耳と言います。
そんな秘密のアノネノネは穴を掘って声を埋めてください。
民主主義か独裁か?
夢桟敷としてはこの43年間、特徴として「アングラ劇」を前面に言っておりました。…何をもって「アンダーグラウンド」だったのでしょう。
時代は移り変わり、1960年代後半から70年代前半にかけてのアングラ劇の登場は現在の小劇場界では認識されていないことも現実にあります。あるとすれば伝統的な〈師弟制度〉という誤解です。
5階の次は6階へ登ります。アングラと言えど上昇します。単なる地下生活、地下演劇とは限りません。

この度のプロジェクトは15年前より取り組んだブラジル移民劇の延長線にあります。更に付け加えれば、3年前に取り組んだアングラの原点探し(回帰)のテラヤマプロジェクトの延長線とも位置づけられます。
歴史と現在、幻想と現実の時間の糸が絡み合って、ほぐしてもほぐしても糸は複雑怪奇にほぐしきれなくなってしまいます。
この時間の怪奇現象を難解芝居と思っているようですが、ここは一つ、リアリズムではないことを承知していただければと願います。
水俣をリアルに届けることではありません。むしろ水俣まで足を運んでみて欲しいと思ってのことです。
それをMINAMATA PROJECT と招じます。弱小の活動であるが故に、水俣の町おこしの運動でもありません。
端的に、水俣病という恐ろしい経験をして、今でも公害からくる患者さんの認定がされていない現実や理不尽をあらゆる方面から捉えて表現していこうとすることは大切なことだと思います。
熊本県の北の町から南の町への演劇ロードとします。
まだまだ細かい課題が残っていますが、追々企みのベールを剥がして参ります。

【編集後記】
週刊月曜日の次号28号は年末ギリギリ大晦日12月31日(土)の発行予定です。
続いてあくる日1月1日(日)2023年謹賀新年特集号とさせていただきます。

12月は山南の入院大腸ポリープ切除や他病気の検査などが続いており、身体のメンテナンスに集中します。