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「植田しんじ先生は、ターキー様の大ファンだったらしい・・・!」90へえ!

2009年05月08日 | レヴューのトリビア

「植田しんじ先生は、ターキー様の大ファンだったらしい・・・!」90へえ!
 「づかファンの鑑」(鈴木田鶴子・著 潮出版社 ゼロ・ブックス)より

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※けっこう前に書いてあったのに、UPするの忘れてたわ・・・。

 この本は、お借りして読んだのです。
 お、面白い!この本、超おもしろい!
 宝塚の内輪的~なファン本で、劇団関係者(OG・演出家)から、文化人、政界の人などなど、いろんな業界の人が語る「わたしの宝塚」な声を集めたものです。
 とにかく、出てくる面子が豪華なんだよー。読み応えあるねー!

 ぜんぶ面白かったんだけど、植田しんじ先生の「宝塚ファンとしての僕」っていう文章は、植田先生らしい歌劇への愛情表現いっぱいで、たいそうツボでございました。
 その中で、なんと植田せんせーは水之江瀧子様(ターキー)のファンだったとハッキリ書かれていたのに、たいそうビックリ!

 僕が宝塚を初めて観たのは、もう三十年以上も前のこと、戦後宝塚大劇場が昭和二十一年の四月に『春のをどり』で再開されたその年の八月、高木史朗先生の『人魚姫』を観たのが初めてである。もちろんそれ以前の戦前は松竹歌劇団、それもターキーこと水の江瀧子の大ファンで、人力車に乗り膝に赤毛布をかけられて国際劇場に観に行ったという記憶があるが、今回は宝塚の話なので省略する。
 ※下線は生意気娘Kによる。

 ひえーっ。ターキー様ファンだったんだ!
 どーりでわたしと趣味が合うはずだ・・・。この先ももう少し引用してみます。

 それ以来三十年、途中、早稲田大学に入学し新劇などにかぶれた時期以外はずっと宝塚を見続けてきた。もちろん、中学、高校が神戸であったという地の利を得ていたせいもあるが、よく学校をさぼっては宝塚通いを続けたものである。その頃は戦後のこと、娯楽といえるものはラジオ、映画しかなく、劇場も大阪歌舞伎座、朝日会館、大手前会館、神戸には八千代座という古い小屋が一つという、本当に数えるほどしかなかったのである。そんな世相と時代の中で、一年中美しく華麗な夢を与えてくれる宝塚という存在がいかに貴重なものであったかは、筆舌に尽くしがたいものがあった。本当にあの当時の敗戦日本に、色彩といえるものが存在したのは宝塚の舞台だけであったのである。 

 どうですか、この最後の文。「本当にあの当時の敗戦日本に、色彩といえるものが存在したのは宝塚の舞台だけであったのである。」って、大げさだけども、グッと来る文章じゃありませんか。

 まあ、植田せんせーがあっちこっちで書いたりしゃべったりしてる内容を総合的に考えて、「この方、タカラヅカ以外の歌劇やレビューも好きなんだろうなあ」とは思ってたんだよ。具体的に言ってしまえば、松竹系レビュー、好きだったんだろうなあーと思ってました。それに触れる時は、えらいデリカシーのない書き方をしてたりして、「これじゃ伝わらないよなあ。でも、悪気はなくて、本当に好意的に見てるんだろうなあ」と思ってましたよ。

 ハッキリ「ターキー様のファンだった」と書いてあるのを見つけるのは、嬉しいですねえ。ま、立場が立場だけに、タカラヅカ以外の歌劇に関して、表だって具体的に語る機会は少ないんだろうな。植田先生の著書二冊読んだけど、(タカラヅカ本だから)そんな記述はなかったはずだもんな。

 植田先生の作品を見れば、レビュー時代の少女歌劇黄金期への懐古と誇りがあふれてるのがわかりますもんね。サービス精神旺盛なときの「洋風うえだ歌劇」(ベルばらも含めて)には、オープニングやフィナーレに、すごくしっかりレビューを入れてますしねえ。

 「芝居」の作家をやってますが、植田先生って今日び数すくない「レビュー信奉者」にして、古きよき純朴な少女歌劇の大ファンなんだと思いますよー。この本に収録された植田せんせいの文章からは、レビューと歌劇に対する愛情をヒシヒシ感じて感動しちゃったよ!

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2 コメント

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すみません。 (ちどり)
2009-05-10 15:35:36
松竹派としてはどうしてもひがみっぽい一言を言いたくて・・・。

大劇では1945年9月16日から(タカラヅカ大劇場が閉鎖しているときから)「秋のおどり」やってるんですけど・・・(涙)。松竹座でもターキーさんがやった「べらふらんか」の焼き直し「陽気な中尉さん」(1945年11月15日初日)とか、やってるんですよね・・・。終戦直後の10月には松竹映画「そよかぜ」のテーマソング「リンゴの唄」が爆発的ヒットしてるから、大劇も松竹座も大盛況だったと思うんですけど・・・植田さん、そういうことは忘れてるんですね、きっと(涙)。
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ちどりさまへ♪ (なまいきむすめK)
2009-05-16 21:17:12
なんと!
さすが植田せんせい。こんな短文ひとつで、ツッコミどころ満載なのですね・・・。

(具体的に時代が合ってるかどうかとか、そんなこと考えもせずに読んでましたわ。)

調子よくノリで書いたんだろうなぁ、植田せんせい・・・。
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