etceterakoの勝手にエトセトラ

「生意気娘Kの勝手にエトセトラ」は改題いたしました。カテゴリ「ブログ改題について」をご覧ください。

「小林一三、起業の資本は、転職しそこなった三越の株でたまたま得たらしい」 81へえ!

2007年01月21日 | レヴューのトリビア


「小林一三、起業の資本は、転職しそこなった三越の株でたまたま得たらしい」
 81へえ!

日本財界人物全集第5巻 小林一三」(三宅晴輝/東洋書館)より

******************************

 「一生のうち、私の一番の不遇の時代であった」と後年に語る数年を、一三は妻、長男(富佐雄)、長女(とめ子)とともに、三井銀行の社宅で、家庭はそれなりに楽しく暮らしたようです。この時期、趣味は書画・骨董。(基本的に「趣味人」だよね、一三)

転職失敗その③ 三越呉服店に行こうと思ったのに。
 不遇をかこっているうちに、「三越呉服店に推薦する」という話が来たそーな。
 三越呉服店は、明治37年に三井家の事業から分離。一時はつぶれかかったんだけど、経営を任された三人の企業人がなんとか建て直し、人材を募集していたと。

 推薦によって、課長級以上or副支配人として推薦されることが決まり、一三の胸は期待に膨らみます。そんで考えました。

「三越に入るなら、三越の運命と、自分個人の利害・運命をともにしよう。そのために、三越株をたくさん買おう!」

 そして借金してまで、三越株を買い集めたんですよ。

 とーーーころーーーがーーーー。
 この話(三越入社)もまた、立ち消えになってしまうんですねえ。

 三越株を買った意味がまったくないワケです。
 金を貸してくれた村井銀行(三井銀行の元同僚のツテで借金できた)が、事情を聞いて「そんなら、(株を持ってる意味ないなら)金をサッサと返せ!」とゆーことになり、一三はせっかく買い集めた株を売り払って現金をつくり、借金を返済することになりましたとさ。

 さあ、ココからが一三が運の強いところなんですがーーー・・・。
 株を売ることになった時、日露戦争の勝利で株式市場が暴騰している絶頂だったんで、すんごい儲かった!んですねえ。三越株でひと財産つくったんです。

 三井銀行は(出世しそこねて)おもしろくない!
 三越株でにわかに金はできた!
 三井銀行をヤメても食っていける!

 一三は決意します。
 何かうまい仕事がみつかったら、オレは三井銀行をヤメて独立しようーーー。

 阪急グループを一代で築き上げることになる小林一三が、起業を決意した瞬間です。

 一三が三井銀行を本当にヤメるのは明治40年1月。一三、35歳の決断でありました。一三の運命が動きだします。

★へえボタン★


最新の画像もっと見る

コメントを投稿