「小林一三、起業の資本は、転職しそこなった三越の株でたまたま得たらしい」
「日本財界人物傳全集第5巻 小林一三傳」(三宅晴輝/東洋書館)より
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「一生のうち、私の一番の不遇の時代であった」と後年に語る数年を、一三は妻、長男(富佐雄)、長女(とめ子)とともに、三井銀行の社宅で、家庭はそれなりに楽しく暮らしたようです。この時期、趣味は書画・骨董。(基本的に「趣味人」だよね、一三)
転職失敗その③ 三越呉服店に行こうと思ったのに。
不遇をかこっているうちに、「三越呉服店に推薦する」という話が来たそーな。
三越呉服店は、明治37年に三井家の事業から分離。一時はつぶれかかったんだけど、経営を任された三人の企業人がなんとか建て直し、人材を募集していたと。
推薦によって、課長級以上or副支配人として推薦されることが決まり、一三の胸は期待に膨らみます。そんで考えました。
「三越に入るなら、三越の運命と、自分個人の利害・運命をともにしよう。そのために、三越株をたくさん買おう!」
そして借金してまで、三越株を買い集めたんですよ。
とーーーころーーーがーーーー。
この話(三越入社)もまた、立ち消えになってしまうんですねえ。
三越株を買った意味がまったくないワケです。
金を貸してくれた村井銀行(三井銀行の元同僚のツテで借金できた)が、事情を聞いて「そんなら、(株を持ってる意味ないなら)金をサッサと返せ!」とゆーことになり、一三はせっかく買い集めた株を売り払って現金をつくり、借金を返済することになりましたとさ。
さあ、ココからが一三が運の強いところなんですがーーー・・・。
株を売ることになった時、日露戦争の勝利で株式市場が暴騰している絶頂だったんで、すんごい儲かった!んですねえ。三越株でひと財産つくったんです。
三井銀行は(出世しそこねて)おもしろくない!
三越株でにわかに金はできた!
三井銀行をヤメても食っていける!
一三は決意します。
何かうまい仕事がみつかったら、オレは三井銀行をヤメて独立しようーーー。
阪急グループを一代で築き上げることになる小林一三が、起業を決意した瞬間です。
一三が三井銀行を本当にヤメるのは明治40年1月。一三、35歳の決断でありました。一三の運命が動きだします。
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