「小林一三は幾度か転職し損なったらしい」 63へえ!
「日本財界人物傳全集第5巻 小林一三傳」(三宅晴輝/東洋書館)より
※絶版。昭和29年初版のボロ~い本です。
******************************
明治32年2月1日、東京・大阪間にはじめての電話が開通。
そのころ一三は、自分で提案して「業務週報」なんてのを作って本店や各支店に配り、「参考になる」と、お偉方からも評判がよかったらしい。大阪の経済界の情勢や、大阪財界人の動勢などを書いたもので、交遊範囲がひろく、筆の立つ一三ならではの仕事だったという話。
そのころ(三井銀行大阪支店勤務時代)、いろいろと転職話があったそーな。
転職失敗その① 住友銀行に買われ損なう。
この時代、大阪財界では、人材導入で近代化をガシガシ進めていたと。ヘッドハンティングが盛んだったんですな。
ある日、平賀支店長が一三を呼んで言いました。
「ここだけの話だが、こんど住友が銀行を増資して、金融に乗り出すことになった。副支配人を探している、キミを推薦しといたから」
のちに住友は大財閥になりますけど、当時はまだ「一鉱山師」。
平賀は住友銀行の支配人になる(予定)のヒトと懇意だったから、住友としても「あ、小林くんなら」となりそうだったんですが~。
けっきょく住友内部からの横槍でダメになったと。
その「横槍」の内容がふるってます。
「小林は素行のおさまらない道楽者だからいけない」
・・・信頼は、日ごと日ごとの積み重ねなのであります。
こりゃ、身から出た錆だね。同情の余地はないね。(※一三の道楽、ワガママぶりは過去記事参照)
転職失敗その② 北浜銀行から「お呼びでない」。
住友の話がダメになってしばらくすると、「小林(一三)は北浜銀行に行くんじゃないか」と社内でウワサになりました。
岩下とゆー人が三井銀行をヤメて、北浜銀行を設立しとき、一三は迷ったけど行かずに三井に残ったんですね。
岩下にくっついて北浜銀行に移り、副支配人をやってた小塚とゆー人が、今度は支配人になったので、小塚とは先輩後輩である一三が、今度は副支配人として呼ばれるんじゃないか、っていう憶測が出たんですな。
しかし、岩下は一三を呼びませんでした。
「君はようやく三井銀行で認められるなってきたんだから、いま動くのは損だ。三井にいることだ」
と言ったらしい。
実際、三井での一三に、やがて栄転の話が持ち込まれます。明治33年12月のこと。
ところーーがー、喜んで上京した一三を待っていたのはーーーー。
次回、「栄転のはずがガッカリ編」です。
★へえボタン★
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます