「宝塚ベルばらヒットの要因は、舞台がパリだから?」53へえ!
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1976年(昭和51年)4月15日の夕刊フジが、「男のための〝ベルばら辞典〟」として、宝塚とベルばらについて、「読めばとりあえずひととおりわかる」まとめ記事を載せています。内容はまあ、当たり障りないカンジ。
原作がマーガレット掲載の人気劇画であることを紹介し、あらすじを載せ、宝塚の舞台人気について、ムダなくさっぱりとまとめてあります。すこしだけ引用。(一面使ったけっこう大きい記事です。)
これまでの宝塚のレパートリーといえば、レビュー誕生期の「花詩集」(昭和8年)、戦後の宝塚を盛りたてた「虞美人」(26年)などが知られているが、〝ベルばら〟は公演日数、観客動員数ともに六十二年の宝塚史上、群を抜いて一位。こんなところから「宝塚もとうとう『忠臣蔵』を持った」(演劇評論家、戸板康二さん)という見方もある。もっとも「パートⅢで打ち止め。再演はとうぶんありません」というのが歌劇団の方針で、ベルばらブームもこの夏で一応ピリオドが打たれる。
下線は生意気娘Kによる。
ベルばらブームの、まさに「総括」とゆーカンジの記事ですよね。
この記事のド真ん中の一番目立つ太い文字が、宝塚の『忠臣蔵』っていう見出しです。ブームの存在が世間に定着し(すでに騒ぎ終わったあと)、宝塚歌劇の再飛躍を冷静に眺める段階に入っての記事ですね。
参考までに、この記事に織り込まれている有識者(?)コメントを引用しときましょう。今もベルばらや宝塚について折に触れて語られる有識者コメントはありますけども、爆発的ブーム当時のリアルタイムコメントはなかなか貴重だ。
石子順造・評論家
「少女マンガは日本の少女たちの〝夢の王国〟、そして〝ベルばら〟は、こうした甘く痛ましい夢の集大成だと思う。甘く、痛ましいことでは宝塚も同じだから、この原作が宝塚の舞台に乗ったのは一種の〝本家がえり〟で、大当たりしたのもごく自然なことだろう。この甘さと痛ましさ、日本の女性を考えるのに重要なポイントで、あのウーマン・リブの甘さと無残さとも共通しているんじゃないか」
小田島雄志・東大助教授(いまは名誉教授)
「宝塚は楽しめばいいんですよ。装置から衣装、演出・・・とはずかし気もなく徹底的にロマンチシズムを打ち出したところが、とても爽快です。だいたい、あれだけきたえられて歌と踊りをみせてくれるのは宝塚だけ。世界のどこへ出しても通用するものをつくれる実力があります」
まあ・・・。当たり障りないコメントだよね。読んでも「ふうん」という。石子のはわかったようなワカランような、「雰囲気評論」だし、小田島は宝塚を「持ち上げコメント」ですね。
紙面変わって、東京中日スポーツの1974年(昭和49年)12月21日の「’74話題を追って」というコーナーに出た「空前 ベルサイユのばら」という記事に、以下のようなくだりがあるんです。
パリを忘れてた・・・
「ヒットの原因? もちろん池田理代子さんの原作漫画の人気が大きいでしょうね。劇場へやってきたお客さんの三分の一は、これまでと違う少女ファンでしたから」(東宝演劇宣伝)という分析は当然だが、その一方で「ベルサイユのばら」が、このところ宝塚歌劇の忘れていた〝美しい夢〟を与えてくれたのが大きいと力説する関係者も多い。
「近ごろのヅカには、エンビ服や近衛士官の服がピッタリくるスターが少なくなった。私がこんど演出を引き受けた理由の一つはそれですよ」と長谷川もいう。
「最近のヅカの舞台はスペインだったりメキシコだったり・・・・・・。花の都パリを忘れていたんですよ」と反省するスタッフもいる。
宝塚は〝バック・トゥー・タカラヅカ〟を、まじめに検討しはじめた。少女たちのために美しい夢を、花園を取り戻そうというわけだ。
下線は生意気娘Kによる。
「花の都パリを忘れていたんですよ」ってコレ、宝塚歌劇団「側」のヒトから、よく出てくる分析だよね。
たしか高木史朗先生も、かの植田しんじ先生もどっかで触れてたはず。もとは、白井先生が「宝塚にはパリが一番似合うよ」とか何とか言ったっていうのが、ベースになってるんじゃなかったっけ。
わたしの見聞の範囲内の印象だけれども、これ、外の評論家は意外に言わない。石子みたいに「雰囲気」の話とか、ナベジュンみたいな「女性像がどうたら」とかはよく見かけるけど、「やっぱり宝塚はフランス、パリだよね!」は、劇団からの分析コメント以外は見かけない気がする。あったとしても、劇団の受け売りとゆーか、これは「劇団発の見解」だと思います。
前にも書いたけど、こと宝塚に関しては、わたしは外野(ファン・評論家・有識者・文化人etc)よりも当の劇団内部のヒトのほうが、冷静に宝塚というものをとらえている、と思ってるんです。
ベルばらは原作がもともと多数の「読者」を抱えていて、彼女たちが宝塚に流入したことで起こった「宝塚ブーム」であったわけですが、舞台見たときに彼女たちが「ガッカリ」しなかった要因は何か・・・って考えたとき、それこそ「雰囲気」だと思うんですよ。オスカルのキャラクターは、植田しんじ訳で「ただの女」に書き換えられてしまったけれども、雰囲気がすごく出ていた・・・。それは、オスカルが本当の「男装の麗人」(男役)であったことに加えて、男装の麗人が戦う舞台であるロマンティックなパリの雰囲気が、まさに宝塚歌劇にピッタリだったからじゃないかなーだと思うの。
「宝塚にはパリだったんだよねえ」っていう劇団の分析は、もう一度じっくり考える価値があると思いますねえ。これ、けっこう大事なポイントだとわたしは思う。
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私も、そう思います。
なんてったって、
宝塚の生徒のことを、「タカラジェンヌ」と呼ばす位、劇団側は、意識してきたんですから。
『モン・パリ』からはじまって、現在に至るまで、お芝居にしろ、レビューもしくはショーにしろ、
作品名に「パリ」が付いてるものは、めっちゃ多いですもんね。
あー。
私が宝塚で一番好きだった作・演出家は、小原先生でした。
小原先生のオリジナルのショーが、大好きでした。
小原先生は、アメリカ的な作品がお得意でしたから。
私は、フリルヒラヒラもののレビューより、シャープでスカッとしたショーの方が好きでした。
たびたび、
「レビューとショーは、どう違うの?」
という類の質問を目にしますが、OSKを観るようになって、
立て看板とかチラシとかポスターとかに「レビューショー」って書かれてあるのを見て、
そっかー。これって、和製英語っぽくって、いいぢゃん!
って、納得して、今はもう何の疑問も持っておりません。私は、ねっ。
「レビュー」という呼び方で、真っ先に思い出すのは、モンパリ誕生50周年記念『ザ・レビュー』。
3部構成で、内海先生が総括して、
1部が岡田先生。2部が横澤先生。3部が草野先生。
汀夏子さまトップの雪組から、安奈淳さまトップの花組へと続演されましたが、
同じ作品でも、出演者が違い、組のカラーが違うと、こんなにも変わるのかぁ、と、感じたもんです。
横澤先生ご担当の2部が、まさに、パリ。
シルクハットにステッキ持った黒燕尾の男役の郡舞「モンパリ」。
トリコロールの三色旗、ピンク・白・水色の娘役が歌い継ぐ、シャンソンメドレー。
なんだか、『ベルばら』を語らず、私の思い出話ばっかりで、すみません。
トリビアの、そのまたトリビアですが、
「すみれの花咲く頃」の原曲は、フランス産ではなく、ウィーン産なんですって。
フォックストロットという種類のリズム。
でも今や、すっかりタカラヅカのパリ的なテーマ曲として、定着してますもんねー。
カラオケにもありますもんねー。
話がどんどん逸れたついでに
(ご迷惑でしょうが)声を大きくして叫ばせてくださいな。
OSKの「桜咲く国」もカラオケに入れてくれ~~~!!!
見ていて感覚的に「あっ。これはショー、これはレビューだ」って切り分けはできるんですけども、何がちがうのかと聞かれると、説明できないですねえ~。
「レビューショー」ってコトバ、わたしもOSKで初めてみたとき「な、なるほど!」と思いましたわ。
>汀夏子さまトップの雪組から、安奈淳さまトップの花組へと続演されましたが、
レビューで「続演」があった時代ですか~。
まだまだ宝塚もレビュー路線を熱心にやっていた時代だったんですね。いいなあ~。
>「すみれの花咲く頃」の原曲は、フランス産ではなく、ウィーン産なんですって。
へえー。そうなんですか。
そう言われてみると、ウィーンぽい優雅さがあるような。
そういえば初心者のころは、わたし「宝塚のパリ~の優雅な香り」の良さをどうもわかってなくて、スピード感があって明るいアメリカ風の場面のほうが好きだと感じてたように思いますねえ。
いまはレビューオタクになりつつあるので、宝塚のパリ~の風味も、すっかり大好きになりましたけど。
小原先生はアメリカっぽい作風でいらしたんですか。
見てみたかったです~。
>OSKの「桜咲く国」もカラオケに入れてくれ~~~!!!
ああっ。そういえば入ってないですね!
今度カラオケ行ったら、リクエストカード書いてきます~。