「あの渡辺淳一先生もベルばらを語る時代!」65へえ!
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わたしは「作家(小説家)」が書くエッセイとかコラムの類が昔からとっても好きなのです。「エッセイスト」とか「コラムニスト」が書くものより、書き方も芸風もあまり「完成されすぎていない」感じで、思ったことをざっくばらんに書き付けている雰囲気が好きなのよ。なんか、作家のおしゃべりを聞いてるような気分になるじゃんね。プラス、作家の作風・得意分野に照らしてそのおしゃべりを味わうのがまた楽し。
お借りした資料のなかに、作家が書いた文章を見つけてニヤニヤしながら読んでしまった。(←あやしい人・・・)
野坂昭如だと、宝塚語りするのは別段「珍しくない」ので、今回は昨年の「鈍感力」
ヒットも記憶に新しい、渡辺淳一ことナベジュン先生をご紹介。はあ~。あんな「少女文化」から縁遠そうなおヒトも、ベルばらをエッセイに織り込んでしまう時代だったのねえ~。
どっか単行本に収録されてるかもしれないですが、わたしナベジュンファンじゃないのでよくわからない・・・。
夕刊フジ連載のエッセイ「努力してもムダなこと・・・」からです。1976年(昭和51年)12月7日、タイトルはそのままズバリ「ベルばら!」。
冒頭は「最近は洋風の舞台をほとんど見ていない。夏に見た某洋風芝居は誠につまらなくて、真剣に見ている人の気が知れなかった(要約)」という、「某洋風芝居」のファンが読んだら怒りそうな前振りです。(ああ、もしかしてこれが噂の「鈍感力」?(笑) もーすこし批評風に書くとか、なんとかしようという気持ちはなかったんでしょうかねえ・・・。ほら「私には良さはわからなかった」とか、もっと言いようがあるじゃんか。)
そのナベジュン先生、池田理代子先生と知り合いで、切符をもらって「宝塚ベルばら」をご覧になったらしい。で、ことのほかお気に召したご様子。
衣装や舞台装置など、いかにも宝塚らしく豪華絢爛、陳腐といえば陳腐だが、見た目には楽しい。
筋は大体、ご存知のとおりだが、なかで興味があったのはオスカルという主人公である。
いままで、こういう舞台に出てくるヒロインは、大体、美しく可憐で、可哀想で、虐げられて、じっと幸せをまっている。するとあるとき王子さまが現れて救ってくれると、パターンが決っていた。
あるベテラン編集氏が、男が愛を抱く原型はスーパーマンで、女の夢はシンデレラ姫だと喝破した。
(中略)
ところがオスカルは全然違う。シンデレラのように、幸せのくるのを、ただメソメソと泣いて待ってはいない。自分から剣を振りかざして幸せをとりに行く。
それどころか、国や政治まで動かそうとする。
それに面白かったことは、彼女は男装であることを隠そうとしない。男装は動きまわるのに便利だからつけているといった具合である。
あれを見てきゃあきゃあ叫ぶ少女を見ていると、宝塚ファンも変ったものだと思う。
こういう少女たちが大きくなるのだから、男なぞかなうわけもない。
下線は生意気娘Kによる。
なにか、こう・・・。いろいろ考えさせられる文章ですよねえ。
「ところがオスカルは全然違う」うんぬんは、ありがちなオスカル論で、わざわざナベジュン先生がお書きにならなくても、類似した文章はこの世にゴマンとあることでしょう。
オスカルの解釈は、原作ファンからすると、ナベジュン要約はホンのわずかに違和感あるけどね。たぶんナベジュン、原作読まずに舞台見てるから、「植田しんじ訳」ベルばらとしては、まあ間違ってはないかな。
後半の「あれを見てきゃあきゃあ叫ぶ少女を見ていると、宝塚ファンも変ったものだと思う。」。こーれはどうなんでしょうねえー。
以前の宝塚ファンは、「清純な乙女」にばかり共感してたっていうの?
「レビュー時代」以降、男装短髪の男役が少女歌劇ファンを熱中させてきたのは、けっきょく「オスカル人気」と根っこ一緒だと思うけど。
戦前の少女歌劇・レビューブームのなかで、女学生たちのあいだで「僕」という一人称が広がり、眉をひそめる記事が新聞に載ったこともあったんだし。(大昔のレヴューのトリビア「昭和十年、女学生の男言葉はレビューの影響だった・・・の?」74へえ!→ココ」を見てくだされ)
だいたい、宝塚が男性のあこがれ(娘役スター)→女性のあこがれ(男役スター)へと移っていき、圧倒的に女性ファン多数の文化になっていたのだって、レビューで「男装の麗人」が登場した昭和ヒトケタの昔話だし。昭和五十年まで待たなくても、「少女」が持っている男装へのあこがれは、とっくに具現化して舞台に乗って熱狂を巻き起こしてましたよ。
ナベジュン先生は、いったい宝塚にどーいうイメージをお持ちだったのだろうな。それが気になる。
はい。それでこのエッセイはまだオチがあるのだ。
この先を読み進めて、わたしは椅子から転げ落ちそうになった。
だが、あの舞台で一番感心したのは、長谷川一夫の演出である。
この人、たしか七十歳ぐらいかと思うが、よくあれだけ若々しい演出をできるものだ。
歳を取ったら盆栽などいじり、やたらに小言をいう。藝術院会員などになって悟り顔する人は沢山いるが、七十になってなおミーハーに徹するのは尋常なことではない。
余程、意志の強固な人なのか。
こういう人に、もう少し立派な勲章をあげてもいいような気がするが、日本は文化国家だから駄目なのだろう。
下線は生意気娘Kによる。
ああっ。ひさびさにホントに面白い文章を読んで、(笑いの)涙が出てしまった(笑)
ベルばらの話をして、オスカル像を語っておいて、「一番感心」したとして最後にあげるのは長谷川一夫!?
いや、もちろん功労者です。そんなことは当時のファンも、現代のわたしだって、よくよくよーーーーく知ってます。長谷川演出が、宝塚ベルばら成功の一助となったのは間違いないです。それは承知承知。
それでも、この文章の流れで、最後の最後に「一番」としてホメるのが長谷川一夫!!という書きかたに、わたしは「うーむ!さすがナベジュン!」と机を叩いてホホエんでしまったのじゃ。
長谷川一夫の「演出」を若々しい、という文章にしてあるけど、あとにつづく「盆栽うんぬん」のくだりから推察するに、よーするに「ベルサイユのばらなどという、若者ハヤリ文化かつ俗っぽい内容の仕事をするなんて、キミ若いねーーーー!(自分ならやらない)」という話ですよね。
さらに最後の「(こーゆー人に勲章あげたいけど)日本は文化国家だから駄目なのだろう」の箇所、わたしは最初意味がわからなかった。再読してよく考えると・・・ああ、「タカラヅカ」や「ベルサイユのばら」なぞ、「文化」に価しないから、文化国家(ここでいう「文化」はメインカルチャーに振り分けられるモノたちのことなんでしょう。サブカルチャーは入れてもらえないんだな)の日本では賞は与えられないだろーな、という話ですかぃ!!
まー。政治的なことは、わたしはようわからんので、「タカラヅカが文化かどうか」「ベルばらが文化かどうか」うんぬんを議論しようとは思わないけど(それはわたしの守備範囲外だ)、とりあえずこの一文からは、少なくともナベジュンの中では、「タカラヅカはまだ文化・芸術の数にかぞえてもらえない!」というのがわかります。まあ、ナベジュンは保守的だからねえ。当時の文化人だれもがそう思っていたとは思えないけど。1970年代って、もうだいぶサブカルの地位、上がりつつあったんじゃないの?
まあ、なにはともあれ、少女歌劇が「ものの数に入らない」という状況を如実に示すサンプルのひとつだな。
いやー。大変でしたね、歌劇団サマ。この時点でタカラヅカって60年ぐらい歴史あるでしょー?そうかあ。「自画自賛広告でタカラヅカ万歳をお伝え」し続けてウン十年たってもまだ、そういう扱いだったのかー。大変でしたねえ。
いやあ、面白い記事だったなあ。
★へえボタン★
渡辺淳一先生ですが、2年くらい前?
週間新潮の「あとの祭り」というコラムでも
確か宝塚のことを書いていらっしゃいました。
やっぱりベルばらだったかな???
(最近なんでも忘れる)
多分「男性がぜひ見るべきだ」とかなり絶賛記事でした。
名前が中途半端になってしまいました。
“へえボタンエラー出しの王者、へえボタンに完敗す”
いつものように、「へえボタンをクリックしまっくたるでぇ~」(←これが既に、朝のお楽しみなの・笑)
と、意気込んで、クリックしはじめたら、
「へえボタンはもういいから、ガッテンボタンを押したいと思ってるんじゃないの?」
てなメッセージが出たんですよ!!!
やられた。負けた―――(泣)
本日からは、ワタクシ、“へえボタンの敗者ともきち” でございますぅぅぅ。
さて、何に同感したか、と申しますと、
>まあ、なにはともあれ、少女歌劇が「ものの数に入らない」という状況を如実に示すサンプルのひとつだな。
これ、これよー。
70年代から30年以上経っても、少女歌劇の地位は、当時とそんなに変わってません(キッパリ)。
『ベルばら』『風とも』『エリザ』等など、客寄せパンダみたいな作品を上演する時だけ、
〇I〇Aカードとかのスポンサーが付いて、大宣伝されて、客がワンサカ押し寄せるけど、
通常の公演にもどると、
「・・・・・」
とまぁ、わかりやすい動員になるんです。
流行ってるもんに乗り遅れたくない意識、でしょうか。
私が幼い頃、世間で大ブームになった上野動物園のパンダを、
「東京へ連れてって~。パンダが見たいねん、おとうちゃーん」
と涙して頼んだのに、連れてってくれへんかった父よ。
「パンダ、もうオマエは いない の かぁぁー」(バスチィーユの場面の、オスカルの叫び風味・笑)
宝塚もOSKも、これだけの長い年月を少女歌劇として継続させてきたのだから、
世界に誇れる伝統芸能の域に達している、と私は思っています。
でもって、宝塚は、天津乙女さまのバリバリ現役時代に、
歌舞伎界(主に舞踊の方)との交流が盛んで、「宝塚義太夫歌舞伎」というのも上演されています。
(手持ちの『見たこと 聞いたこと 感じたこと』小林米三 阪急電鉄株式会社コミュニケーション事業部 を参照しております)
私が宝塚を観はじめた頃では、
安奈淳さまトップ時代の『朱雀門の鬼』に、北条秀司、
同じく、安奈淳さまが織田信長を演じた『うつしよ紅葉』で、先代の尾上松緑が、演出。
こーゆー方々と交流があるのに、どうして演劇界では地位が低いか、少女歌劇よ!
私は、ふと思いつくと、芋づる式にいろいろ思い出して、
ハナシがあっちこっちに飛んでしまう奴で、どうもすいませんなのですが、
今また、ふと思い出したことを書かせてくださいな。
こないだの再演の『ベルばら』のちょっと前に、
NHKが『プロジェクトX』で、『ベルばら』初演のことを取り上げて放映してましたよね。
榛名由梨さまが、長谷川一夫さまから、オスカルを演じるアドバイスとして、
「(原作の劇画のごとく)目から星を飛ばしなさい」
っておっしゃってたのが、とても印象に残っていまして。
そんでもって、先月のOSK「春のおどり」@松竹座で、
初めて黒燕尾姿で舞台に立つ研修生に、桜花昇さまが
「薔薇を背負って歩きなさい」
とアドバイスされたとのエピソードが紹介されたことが、
私の中でピターッと、くっ付いたのでございます。
何ごともそうでしょうけれど、プロフェッショナルなお仕事には、
イメージトレーニングというのがどれ程大切か、ということですね。
週間新潮の「あとの祭り」というコラムでも
確か宝塚のことを書いていらっしゃいました。
わーっ。時期的にひょっとして、ベルばら2006の頃かもしれませんね。
そうなんですかあ。
それは余程お気に召していただけたのですね(笑)
わわわっ。
おはようございます、敗者さま・・・って、「敗者さま」なんて呼びにくいですよお(笑)
>70年代から30年以上経っても、少女歌劇の地位は、当時とそんなに変わってません(キッパリ)。
難しいところですよねえ。
「漫画」とか、わたしが小さいころはまだ「マンガばかり読んでちゃいけません!」って評価でしたけど、ここ十年ですっごく地位上がりましたよねえ。けど、地位が上がって、漫画文化が劇的に発展したかといえば、「若者の漫画ばなれ」とか言われてますからねえ・・・。評価されない(「分かるヒトには分かる!」みたいな)状態だからこそ、面白いっていう部分もあったりして・・・。文化って難しいですね。
わたし、自分が歌劇の世界に偏見が一切なくて、むしろずっと「すごく文化の香り高いものだ」みたいに夢想してあこがれてたクチなので、しょうじき「歌劇の地位が低い」という状況を実感したことがないんですよね。演劇や舞台芸術の世界も知らないし・・・。
ナベジュン先生のエッセイのラストは、だからホント意外で、「ああっ。これがうわさの歌劇への偏見なんだあー」と新鮮なオドロキでしたわ・・・。←世間知らず
>歌舞伎界(主に舞踊の方)との交流が盛んで、「宝塚義太夫歌舞伎」というのも上演されています。
宝塚と歌舞伎のコラボ公演ですか??
へええ~。
わたし、米三先生の追悼本?みたいなの持ってるんですよ。米三先生の「見たこと~」って、たしかその本に全面収録されてたような・・・。今度探してきます!ダンボールの山から!(←整理がなってない・・・)
>「(原作の劇画のごとく)目から星を飛ばしなさい」
>「薔薇を背負って歩きなさい」
私の中でピターッと、くっ付いたのでございます。
わーーーーっ。ほんとですねーーーっ。
たしかに同じこと言ってますね(笑)
松竹座で「薔薇しょって」の話が出たときは、「あははは。なんて桜花さんらしいのかしら。すてき!あははは」と、ふつうに笑い話として受け流しておりましたわー!
イメトレの大切さを説いた、普遍的かつ重要な教えだったのですねっっ。
今の渡辺さんからは想像つかないかも知れませんが、この当時の渡辺さんの世間の評価は、医者という崇高な仕事を持ちながら、純文学ではなく中間小説を書いている作家・・・だったのです。
しかもTVで次々、ヒットをとばしている人気作家。
要するにその当時の渡辺さんは、演劇界においての宝塚と重なる立場・・・と、私はこのエッセイを読んだ時に感じました。
「タカラヅカはまだ文化・芸術の数にかぞえてもらえない!」
それは高みからみた見解ではなく、ご自分自身を振り返られた姿だったように思います。
(少なくとも当時はそう思いました。)
そして長谷川一夫さんです。
長い時代を通して大衆娯楽の王さまであったにもかかわらず、「芸術」ではないために何の賞を受けることもありませんでした。
ご本人はとても勲章を欲しがっていらしたそうです。
それは当時の人としては「おかみからお褒めをもらう」ことが、自分の歩んできた道へのよりどころだったからだと思います。
渡辺さんのこのエッセイの底にあるのは「共感」だったと思います。
うわあ。わたしは、渡辺先生に謝らなければいけませんね。
わたしの感覚だと、渡辺淳一は「もともと医者というセンセイの立場で、なおかつ作家として地位も名声も人気も手にした人」というイメージなので、「メインカルチャー寄りの発言をしているっ!」みたいな読み方をしてしまいました・・・。ごめんなさい、渡辺先生。
>それは当時の人としては「おかみからお褒めをもらう」ことが、自分の歩んできた道へのよりどころだったからだと思います。
なるほどです・・・。
そうして共感してずっと興味を持っていてくださったからこそ、夢見るおばさん様が教えてくださったみたいに、二年前のエッセイでふたたび宝塚が話題にのぼったんですね。