etceterakoの勝手にエトセトラ

「生意気娘Kの勝手にエトセトラ」は改題いたしました。カテゴリ「ブログ改題について」をご覧ください。

「舞台の定番、芝居+ショーの組み合わせはムーランの発明?」91へえ!

2009年04月14日 | レヴューのトリビア

「舞台の定番、芝居+ショーの組み合わせはムーランの発明?」91へえ!

キングアーカイブシリーズ「ムーラン・ルージュの灯は消えず」

******************************

 平井賢さんの解説からまだまだトリビアが!
 宝塚歌劇はもちろん、演歌歌手の舞台興行ナドで定番の、

 一公演を芝居+ショウの組み合わせで!

 っていう形式は、ムーランルージュが定着させたものなんだそーです。
 平井さんの解説から引用してみます。

 幾多の名優、珍優や歌手を生み、数多い名作を残した優秀な作家を育てはぐくんだムーラン・ルージュ。
 ドラマとヴァラエティー・ショーの組合わせは、四十余年前のムーランが創作した公演形式である。これが現在の美空ひばり、三波春夫、江利チエミ公演に受け継がれている。思えば斬新な企画だったものである。ヴァラエティーという言葉自体も、ムーランが初めて使い出した言葉である。当時、「ヴァリエテ」というドイツ映画が、大ヒットしていて、それからヒントを得て、山本浩久氏が名付けたといわれている。


※四十余年前のムーラン・・・レコードは1974年に出て、解説も当時のものなので、1974年の四十余年前です。

 オドロキだよね!
 「ヴァラエティー」って言葉も、ムーラン発だというんですよ。

 まあ、「芝居+ショウ」の組み合わせというのは・・・ムーラン以前にも当然、存在はしてたと思うんですよ。探せばあると思います。
 ただ、当時の宝塚のプログラム見てると、3本立てとか平気であるし、踊りばっかりのこともあるし、「芝居とショウの二部立てで行くぜ!」という意志はまだ芽生えてないんですね。この解説が言いたいのは、

「芝居とショウの二本立てを、『意識的に』やって、それが広まっていったのはムーランがキッカケなんだよ」
 ※追記:すいません。「二本立て」とは限らなくて、複数本立ても入れてのニュアンスかも。芝居とショーをいっぺんにやるっていうのが新しかった?

 ってことだとわたしは解釈します。
 座席数500の小さな劇場だし、時代が時代だから、いまと違って「全国から詰めかける」ような興行ではなかったと思いますが、東京に住んでいる文化人がいっぱい見ていたから、クリエイティヴな業界に、影響力があったんでしょうねえ。

 どんな人が見てたか、このCDの解説書に出てくる具体的人名をひろうと・・・。

・志賀直哉(熱中して毎公演並んだ時期があった)
・菊池寛(よく2階席にいたそうな)
・吉屋信子(よく2階席にいたそうな)
・新居格(わたし、この方を知らないんですが・・・)
・斎藤茂吉(ムーランを詠んだ歌があるらしい)

 さらに「学生」・・・っていうと、当時はすごいインテリ層ですよね?・・・がすっごく多くて、学生さんが軍事教練の帰りにムーランによって、ダンシングチームに声援を送っていたそうな。学生が多いことといったら、六大学それぞれの席がおのずから決まっていたほどだそうですよ。すごいねー! 

★へえボタン★


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ひろ)
2009-04-16 21:22:54
またまた「へぇーーーーっ」です。
でも、宝塚も昔は、インテリ層に支えられていたから、新しい娯楽に敏感だったのは、やはり富裕層とインテリ層なのですね。
返信する
ひろさんへ♪ (なまいきむすめK)
2009-04-16 23:02:53
世の中がまだまだ貧しい時代ですもんね。
こういう興行のチケットって、高かったんでしょうねぇー。
返信する

コメントを投稿