etceterakoの勝手にエトセトラ

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プロジェクトX 第185回「ベルサイユのばら 愛の逆転劇 ~宝塚復活~」(2005年12月6日放映)

2005年12月09日 | 宝塚歌劇
 だいたい、予想通りの内容でしたねぇ。
 宝塚FANには、周知の内容と申しますか。
 だからまぁ、「は?いまさらぁ?」「また植田ぁ?」とゆーのが、宝塚FANのおおかたの感想でありましょう。わたしもそう思います。

 でも、それだけじゃ4行で終わっちまうので、もうすこし別の角度から見てみることにしましょーかね。

 …たかがプロジェクトXの話で、3000文字以上書いてしまいました。(懺悔)
 長すぎるんで、先に要約しときます。

 ・宝塚を語らず、ベルばらの話に終始した姿勢や潔し!
 ・ファンには面白みのない番組だが、一般向けにはイイのでは?
 ・一般に向けて宝塚がファン以外の目線で語られる機会は貴重だと思う。
 ・植田センセの子供時代エピソードは蛇足でしたな。

ヒマな方のみ先にお進みください…。
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 まずは番組内容の骨格から。
 ・・・こうして、知ってる題材で「プロジェクトX」を見ると、あらためてシンプルな構成ですねぇーーー。起承転結がこれほどハッキリした台本、今日びなかなか見当たりませんぜ。

起:宝塚は観客の減少に悩んでいた。
承:そうだ、世間で流行っている「ベルサイユのばら」をやろう!
転:原作ファンからの脅迫、逆境を越えろ!
結:大ヒットを飛ばし、宝塚復活の足がかりができました。めでたしめでたし。

 うーん、わかりやすいっっ!!
逆境を超えて栄光をつかむって…少年マンガも真っ青の展開!
 てゆーか、ベルばらってホント、「プロジェクトX」向きだぁ。いままでやらなかったのがフシギなぐらいですなぁ。
 わたしが何よりも感心したのは、番組の構成がまったく無駄を省いていたこと。

 ・・・生徒を「女優」と、言い切るシンプルさがスゴイ!

 一般(非宝塚ファン)に向けて宝塚を紹介する文章があれば、どんなに字数が限られていても、「生徒」とゆー言葉の説明は入ると思うんだよねぇ。「生徒」って概念こそが、宝塚最大の発明でしょ。プロとアマの中間である、とゆーファンタジーを表す「生徒」って言葉は、宝塚を理解するうえでハズせない要素だよねぇ。

 それをキッパリと無視して「女優」って言葉を使い、ベルばらの話一本に絞った構成や潔し!!

 これはなかなか新鮮な視点ですよ。
 ヅカファンには出来ん芸当だな。

 「プロジェクトX」で「生徒」とゆー言葉の説明すら省いて、ベルばらエピソードに終始する番組内容に、わたしはいたく感心してしまったのでありました。

 これ、新規ファン獲得には、けっこう有益だったんじゃないの?
  
 ヅカファンはついつい、熱さイキオイ余って、宝塚の「すばらしさ」「スゴさ」をディテールをもって、過剰に語っちまうクセがあると思うのですよ。(←わたしもだ)そのわりに「どこにもない場所」「夢を見るところ」などと、結論は抽象的だったりするのだな(笑)

 実際、90年の歴史を持つ「宝塚歌劇」は、たぶん世間が想像している以上の、複雑な魅力と伝統を持った組織なんですよ。それを説明するのに、ディテールが出てきちゃうのは致し方ないのかもしれん。

 だけどね、常々おもうのだけれど、そうやって「宝塚のスゴさ」「伝統」をディテールで学習的に理解したとして、ほんとうにパンピーは「ちょっと宝塚を見ようかしら」と思うんでしょーか。

 それから宝塚を語るうえでよく使われる「愛」とか「夢」とかゆー言葉ね。・・・あのさー、宝塚に限らず、趣味の魅力を説明するのに、「夢があるんだって!」と言われて、「そっかv じゃー、わたしもv」って思う人間、いるんでしょーか。わたしなら、むしろ引きますね・・・。イタい趣味だなーって、むしろ敬遠しますよ。

 プロジェクトXは、「夢」とか、宝塚的な「夢」を支える究極の概念である「生徒」とかの言葉をすべて排除して、ひたすらベルばらをめぐる劇団の「現実」を紹介した点がおもしろいと思う。タカラジェンヌを女優って呼ぶのも・・・たしかに、女優は女優だよなぁ、とミョーに納得。

 「夢を見られる場所」「90年の伝統」ってお題目より、宝塚にも冬の時代があって、ベルばらのブレイクが何かを変えたんだって歴史の紹介のほうが、フツーの人には100倍わかりやすく、共感されやすいと思います。
 このプロジェクトX、宝塚に興味ゼロの人が宝塚に興味をもつには、いいキッカケなんじゃないのかなぁ。

 もちろん、プロジェクトXが紹介したのは、宝塚史のほんの氷山の一角なのだろうし、やはり植田センセ視点なのだろうなぁーとは思うんだけどね。植田センセの作品の是非や、功績?については、宝塚ファンになってから、それぞれが考えればいいことで、とりあえず「一度、宝塚を見てみよう!」って思ってもらうことが大切だと思うんだよ。

 …わたしがこんなコトを考えるようになったのは、もとはといえば、川崎賢子センセイの「宝塚というユートピア」(岩波新書)を読んで。

「この本は詳しく正しく書いてあるけど、一般ピープルが読んだときに、宝塚を見よう!って気持ちにはまずならんだろーな」

 としみじみ思ったからなんだよー。(この本については、いずれキチンと記事書くつもりでいるんですけど…いつになるやら。)発売時の帯には、「見ずに死ねるか!」とか書いてあるんだよ?これ、パンピーに宝塚の魅力を教えてあげやう!って企画なんじゃないの??企画失敗ですね。(キッパリ)

 それに較べると、プロジェクトXはパンピーに共感しやすいつくりになっていて、それはとってもイイことだと思う。

 実際、(先月、銀の狼に連れてったパンピー男性)職場同僚のTさんは、どういう拍子に見たものか、プロジェクトX放映日の翌日、顔を合わせるや。

「プロジェクトX見て、何がなんでもベルサイユのばらが見たくなりました!ぜったい連れてってください!」

 と真顔で懇願してましたよ。

 あのねー。これはわたくしの偏見かも知れんが、「プロジェクトX」はやはり、男性にはものすごい影響力のある番組だと思うんですよ。もちろん、女性が見ても面白いし、女性視聴者も多いとは思うんだけど。高度経済成長期のニッポンの現場の成功例って、好きな男性多いんじゃないの?

 だから、わたしが思ったのは。
 わが彼氏のよーな、「宝塚なんてバカバカしい!」「死んでも見るか!」ってゆー、宝塚完全否定派の男性諸氏が見てくれて、

「宝塚って、悪くないかも」
「歴史があるんだねぇ」

 ぐらいに感じてくれれば、それがあの番組の意義なんじゃないかと。

 ファン向けに作ってないんだから、ファンが見ても面白くないのは、ある意味当然でせうな。ファンに媚を売らず、キッパリと一般ピープルを対象に番組を作ったプロジェクトX、えらいと思う。何もファンの目線だけが、宝塚を語る目線じゃないと思うもん。

 たまには、ああいうふうに「世間の目」を通すことも、文化には大事でしょ。

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 と、エラそうな話はここまでにしまして。
 ここからツッコミー。

 よくできた構成ではあったけど、一点だけ。
 厳密に言えば…。

 植田センセが寂しいお子様だったエピソード、ベルばらになんか関係あんの?

 って思った…(笑)
 言いたいことはわかるよ。寂しいお子様だった植田センセが、華やかな宝塚に魅了されーってのが言いたいのはわかる!
 しかし、それがベルばらにどう関係あるんだ!
 寂しいお子様時代に、池田理代子の愛読者だったとか、そういう話ならともかく、「ベルばら」に何も関係ないエピソードじゃーん。番組自体が、上に書いたように、徹底して「宝塚を語る」ことを省略していたなかで、そこだけ引っかかりましたな。

 とゆーわけで、植田センセのお子様時代のエピソードは蛇足!だったと思います(大笑)

 でも、ちょっと植田センセ、見直したなぁ。
 ベルばらや宝塚を語るとき、満面の笑みだったのがうれしかったの。ああ、この人はホントに宝塚が好きなんだなぁーと思ってさ。それって、すごく大事なことだと思うんです。

 あと、長谷川一夫サマは偉大だと思った…。
 
 

 


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