かんにんブクロ

絵本とイラスト付きで書いているブクロ…いやブログです(笑)

退院の日…

2014年09月19日 | 病気
帰宅してすぐイラストを描いた
(2011年)
3年前
退院して自宅で書いた日記です。

2011年9月25日(入院15日目そして退院の日)
朝食後、同室の患者さん達に挨拶した後、ナースステーシヨンにも行って挨拶した。
『隣の男性』や看護婦さんが、エレベーターに乗るまで見送ってくれたので照れくさかった。
無事退院し、入院生活は終わった。

帰宅してすぐ机に向かって絵を描き始めた。入院中はベッドの上でらくがき程度きり描いていなかったので、机でイラストを描くのは久しぶりだった。左指は曲がったまま。紙をおさえるというより、紙の上にのせる程度きりできなかった。
(描いたイラストは点滴をされベッドに横たわっている私)

描き始めて気が付いた。なんかおかしい。うまく描けないのだ。右手は何ともないから絵は描けるはずなのに、きちっとした線が思い通りに描けないのはなぜだろう?

そんな事を思いながらも、描き続けてわかった。まだ「左手に力が入らないからだろう」とか、左半身の麻痺で「左右のバランスがまだうまくとれていないからだろう」等と思った。「何枚も描いて、バランス感覚を取り戻すきりない」と決めた。

夕方、2週間ぶりにパソコンの電源を入れた。左指の力がまだ弱いので、キーボードのボタンがうまく打てず、数行の文字を打つにも時間がかかった。「なんでうまく打てないんだ!」とイライラした。

右指だけで打てば、早く確実に文字が打てたが、これもリハビリだと思って、なるべく左指も使う様にした。

(その後も、左指のリハビリは、あせらず、気長に続けた)



つづく






ね・て・き・た・ま










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点滴終了…

2014年09月18日 | 病気
点滴容器をじっと見る
(2011年)
3年前
病院のベッドの上で書いた日記です。

2011年9月24日(入院14日目)
午後4時頃、主治医が左手と左足の具合を見にやって来た。右脳をやられて左半身が不自由になったのだが、なぜか左足が一番回復が早い。入院4日目には一人で歩けたから。診察は数分で終わった。

夕方「yamacさん、これが最後です」と言って看護婦さんが点滴容器を持って来た。

看護婦さんが帰った後ベッドに横たわり、点滴が一滴一滴落ちてくるのをしばらく眺めていた。

すると、朝から晩まで2週間も私に付きっ切りだった点滴が、今夜で最後だと思うと、いつも離れたところにぶら下がっていた点滴容器を、近くで見たくなった。

ベッドの上に立ち上がり、点滴容器を手に取ってじっくり見た。ふと容器の裏側を見ると『点滴終了・抜針』と油性ペンで書いてあった。
私は思わずにんまりしてしまった。

夜中に点滴の液剤が全てなくなり、看護婦さんが点滴をはずしにやって来た。そして、右腕に長い間付いていた針を抜いた後言った。
「yamacさん、やっと終わりましたね」
「やっと終わったよ~」
私は安堵感でいっぱいだった。

ベッドの横にいつもあった、キャスター付き点滴棒もなくなった。
そして、右腕にはもう管は付いていない。



これで完全に『ひも付き』でなくなった。
( "ひも付き"とは、点滴の管の事。キャスター付き点滴棒を持って、隣の男性のベッドの前を通った時、「"ひも付き"でどこ行くの?」と言われた事がある) (*^^*)
確かに点滴の管はひもを付けている様にも見える。隣の男性はいつも面白い事を言っていた。

明日は退院、入院生活も終わりだ。私は心地良い眠りについた。



つづく






ね・て・き・た・ま










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退院の日が決まった…

2014年09月17日 | 病気
ボールを使って左指のリハビリ
(2011年)
3年前
病院のベッドの上で書いた日記です。

2011年9月23日(入院13日目)
「軽い脳梗塞です。入院は2週間ですね」
9月11日、救急車で病院に運ばれ、診察後ベッドに横たわっている私に医師が言った言葉だ。

そろそろ2週間になるので、数日前から看護婦さんに、退院できる日を聞いていた。でも、なかなか返事がこなかった。

午後、ベッドでボールを使って左指のリハビリをしていたら、看護婦さんが来て嬉しいことを言った。
「yamacさん、25日に退院できますよ」

やっと退院できると思うと、嬉しくてたまらなかった。



*3年前の日記を読むたびに、辛かったあの頃を思い出す。
でも、軽い脳梗塞で本当に良かった。(2014年9月17日)




つづく






ね・て・き・た・ま










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廊下を走る?…

2014年09月16日 | 病気
隣の男性と私はカーテンを開けっぱなし
(2011年)
3年前
病院のベッドの上で書いた日記です。

2011年9月22日(入院12日目)
まだうす暗い午前4時50分に採血があった。
10時からは2回目のMRI検査があり、約15分で終了し部屋に戻った。

「yamacさん、左足は治りが早いですね、もう歩けるし…」
私と看護婦さんとの会話を聞いていた隣の男性が割り込んで来た。
「廊下を走ってたよ」
「走ってなんかいないよ」
私がすかさず言うと、
「おれには走っている様に見えるよ」
男性が笑いながら言った。

最近の私は点滴の管が外されると、キャスター付き点滴棒を持たなくていいので、病院の中をあちこち歩いたりしていた。すると、車椅子から松葉杖に変わった隣の男性(私のベッドの隣)と、廊下で時々出くわす事があった。

やっと松葉杖でリハビリ出来るまでになった男性から見ると、2週間もたたないのに手ぶらで歩いている私が、「走っている様に見える」という冗談を言ったのだ。

でも、左足は普通に歩ける様になったけど、左手としゃべるのは、まだまだダメだ。リハビリは長い期間かかると思う。



つづく






ね・て・き・た・ま










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リハビリが始まった…

2014年09月15日 | 病気
ボールを回してみた
(2011年)
3年前の日記です。

2011年9月21日(入院11日目)
看護婦さんが「これでリハビリして下さいね」と言って、リハビリ用のボールを持ってきてくれた。スポンジでやわらかいボールだった。

さっそく左指だけでボールを回してみたが、うまく回らなかった。ギュ~と握る事も出来なかった。でも、何度も何度もゆっくり回したり、にぎったりした。

何度かやっていると、ボールが手から落ちてコロコロところがってしまった。ベッドの下やあちこちを探したけど見つからなかった。すると、
「お! ボールが転がってきてるぞ」
隣の男性の所まで転がっていた。

また、ボールを回したりしていたら、今度は私のベッドの奥の方まで転がってしまった。後で看護婦さんにとってもらった。

リハビリは始まったばかり、時間はかかると思うが、焦らずあきらめないでリハビリしようと思った。

(後日、病院で使ったのとほとんど同じリハビリ用ボールを、100円ショップで見つけた。今でもそれを使ってリハビリをしている)

TVでは台風15号のニュース。外は強風や大雨みたいだが、病院の中にいると、外の様子が全然わからなかった。
今日も病院は、静かな夜だった。


*3年経った2014年9月15日現在は、薬指と小指の動きが少しおかしいだけで、あとはほぼ回復した。



つづく






ね・て・き・た・ま










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右手が使えない…

2014年09月14日 | 病気
病院のお風呂場で
(2011年)

2011年9月19日(入院9日目)
「明日は看護婦の人数が少ないので、今日が入浴の日に、変更になりました」
朝、看護婦さんから説明があった。
(通常は火曜日と土曜日が入浴の日らしい)

お昼頃、看護婦さんが私のところにやってきて言った。
「yamacさんは、今日から4階のお風呂場です。4階の患者さん全員の入浴が終わったら、知らせに来ます」
どうやら私のいる3階のお風呂場は、看護婦や介護士の手伝いが必要な車椅子の患者で、4階のお風呂場は、自分一人で入浴できる患者専用みたいだ。(この頃の私は車椅子ではなく、キャスター付き点滴棒も持たないで一人で歩ける様になっていた)

前回の様に点滴の管もはずされて、ベッドで待っていると、2時半頃看護婦さんが呼びに来た。

4階のお風呂場の前に行くと、女性の介護士さんがいて、右腕の点滴のところが水に濡れない様にビニールでかぶせ、両端をテープで留めてくれた。でも、不安だったのか更にテープでグルグルまいてから自信たっぷりに言った。
「はい、これでもう大丈夫!」
私も、ここまでしっかりテープで留めれば、水は入らないだろうと思った。介護士さんの優しい心遣いが嬉しかった。

「さあ!一人でお風呂に入れるぞ!」
浮き浮きした気持ちでお風呂場に入った。そこまではよかった。だが、パジャマを脱ぐ時に気が付いた。
「あれ?右手が曲がらないぞ」

介護士さんが丁寧にテープを留めてくれたのは嬉しかったが、あまりにもグルグルまいてくれたから、右ひじが曲がらなくなってしまったのだ。

「なんてこった!右手が使えないよ~」
入院してから右手だけが頼りで今まで何でもやってきたのに、その右手が使えないとは…
しかたなく、あまり動かない左手でなんとか洗った。いつもと逆のパターンだった。

その後お風呂から出て、タオルで身体や頭を拭くまでは出来た。ところが左手だけではパジャマを着る事が出来なかった。何度も何度も挑戦してみた。

しかし、数分間の悪戦苦闘も空しく、ついにヘルプミー!……
ナースコールのボタンを押した。






つづく






ね・て・き・た・ま










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ちゃわんを持てた…

2014年09月13日 | 病気
ちゃわんを持って食べた
(2011年)
お茶碗をもてたど~!!

9月11日の「脳梗塞で入院した日」で、脳梗塞についての記事は終了するつもりだったが、もう少し続けます。

これは3年前の入院中、病院のベッドで書いた日記です。当然イラストは退院後に描きました。

2011年9月18日(入院8日目)
「おっ! ちゃわんをもてたど~!!」
ご飯茶碗だけど(お茶碗をもてたど~!!)
今まで右手だけで食事をしてたけど、今日、入院して初めて左手にちゃわんを持って(乗せて)ご飯を食べる事が出来た。ぎこちないが、ちゃんと左手に乗せる事ができた。ただ、無意識に、どうしても内側に傾いてしまう。味噌汁は、食べてるうちにお椀がだんだん傾いてきて、中の味噌汁がこぼれそうになった。
まだ、左指でボールペンさえつかめないので、物を持つというより、物を乗せる程度きり出来ないが嬉しかった。とにかく大前進だ!!

朝から晩まで点滴を1週間も続けていると、誤って点滴の管を何かにひっかけてしまう事が何度かあった。そのたびに針が引っ張られて「痛っ!」と声を出してしまった。
針を刺してるあたりがかなり腫れてきて、ぶつかると痛みを感じる様になったので、看護婦さんに右腕の別のところに針を打ち直してもらった。



点滴針を刺している右腕





つづく






ね・て・き・た・ま










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MRI検査…

2014年09月12日 | 病気
MRI(磁気共鳴画像)検査
(2011年)
3年前の事を書いています

車椅子を看護婦さんに押してもらい、MRI室へ行った。検査技師のいわれるままにシートの上に仰向けになって横になると、今まで見た事のない装置の中に私の頭は入れられた。(MRI装置の頭を入れる部分は、こんな感じだった)

「約15分で終わります。唾は飲み込んでいいですが、頭は動かさないで下さい」
「目は開けてていいんですか?」
「閉じ込められている感じがしますので、目は閉じていた方がいいです。それでは始めます」

何も聞こえない時間が数分間続いた後、脳の中をコンピュータで情報を拾い出しているのだろうか、
「トン・トン・トン・トン…」とか「ピッ・ピッ・ピッ・ピッ…」という様なコンピュータの音がした。(たしかそうゆう音だったと思う)
その後は、再び音が全然しない時間が続いた。

更に耳をすまして聞くと、クラシック音楽が静かに流れているのがわかった。多分、患者に不安を与えないで、リラックスさせる為だろうと思った。
そして、SF映画『2001年宇宙の旅』の宇宙船の中にいる様な気分になり、なぜか一人で にんまりしてしまった。

コンピュータHAL9000(ハルきゅうせん)など、映画の場面を思い出していると、また「トン・トン・トン・トン…」という音。検査はそのくり返しだった。

しばらくクラシック音楽を、耳をすまして聞いているとどこからか声がした。
「はい、終わりました」
検査技師の声だった。

後日、「MRI」についてネットでいろいろ調べたら「ドンドン、ガンガン、ドンドン…」とか、工事現場みたいな大きな音がすると書いてあったが、それほど音は大きくなかった。
「トン・トン・トン・トン…」という音のバックに、小さな音でクラシック音楽が聞こえたくらいだから…
(装置の発する騒音は、近年はかなり改善されてきているらしい)

でも、装置が狭く閉所恐怖症の人は強い恐怖心を抱かせると思う。






つづく






ね・て・き・た・ま










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脳梗塞で入院した日…

2014年09月11日 | 病気
病院のベッドで
(2011年)

3年前の今日(2011年9月11日)は、私が脳梗塞で倒れ入院した日だ。
右脳をやられ、完全に左半身が不自由になってしまった。でも、私の脳梗塞は軽い方だった。入院4日目には、一人でベッドから降りられる様になり、キャスター付き点滴棒を持って歩けたからだ。むしろ左足よりも左手の方がなかなか良くならなかった。

あの日から3年たった今、リハビリを根気よく続けたおかげで、100%とはいかないが、ほぼ回復した。

左手の薬指と小指がまだ動きがおかしい。時々言葉が出るのが遅いときがある。ほんの少しろれつが回らない様な時もある。それ位かなあ…。
健康に気を使う様になったのは確かだ。

血圧は毎朝計っている。血圧を下げる薬と血液をサラサラにする薬も毎日飲んでいる。これから寒くなるが、首筋や頭を冷やすと冷たい血液が脳に入り、その刺激で血管が収縮し、血圧が上がってしまうので、冬の寒い日の外出は、必ず帽子をかぶる様にしている。いや、私は1年中、外出する時は帽子をかぶっている。クセみたいなもんだ。


 
●「脳梗塞」について詳しくはこちら↓
脳梗塞とはどんな病気? - 脳梗塞について教えてください - 右脳と左脳
脳梗塞 - Wikipedia - 脳梗塞と食事~予防・改善に向けた食事療法






ね・て・き・た・ま










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脳梗塞の後遺症…

2014年09月10日 | 病気
久しぶりに夢を見た
(2011年)

2011年9月17日(入院7日目)
朝から隣の男性が私によく話しかけてくるので、私も自然とカ-テンを開けたままになってしまった。
私より長く入院しているので、いろんな事を教えてくれた。
「今日はお風呂に入れる日だよ」
「私も入れるのかなあ…」(私の話しは、全てろれつが回っていない喋りです)
「入れると思うよ。それにしても髪が伸びてボサボサだねえ」
「いいんです。退院したら床屋に行くから」(ろれつが回っていない)

二人でそんな会話をしていたら、看護婦が部屋に入って来て、部屋の患者全員に聞こえる声で言った。
「今日は入浴の日です。お風呂場の前に順番に並んで下さ~い」
私は部屋を出ようとした看護婦に聞いた。
「点滴をしてるけど、入れますか?」
「yamacさんは、最後の方になりますから、その頃には点滴が終わっていると思うので入れます。時間になったら声をかけます」

お風呂場の方に視察に行ってみると、並んでいる5~6人は、車椅子の患者ばかりだった。その後、ベッドでしばらく休んでいた。

点滴の管がはずされ、数分待っていると看護婦の声がした。
「yamacさん、お風呂に入れますよ」
午後2時頃やっと私の番になった。私が一番最後だったようだ。
入浴といってもバスタブには入れず、身体や頭を洗うと介護士が湯を流してくれた。バスタブには入れなかったが、さっぱりして気持ちよかった。

入院生活にも慣れてきたのか、入浴して気分もリラックスしたからだろうか、パソコンでイラストを描いてる(作っている)夢を見た。



脳梗塞の後遺症

脳梗塞は、命は助かっても障害や後遺症が残るといいますが、実際の統計を見ると、実際そのとおりだと言わざるを得ないぐらい何らかの障害が残る可能性の高い病です。

私も左手の薬指と小指が3年たった今でもあまり動きがよくありません。又、言葉を発する時、すぐ出ない時があります。

脳出血を含めた脳卒中全体では発症した人の約6割が、症状の軽重は有れ、何らかの後遺症を持つとされており、多くの人が後遺症に悩んでいる現実があります。

詳しくはこちら

脳梗塞ココが知りたい!


脳梗塞の後遺症について





つづく



田舎で不幸があり帰省中です。





ね・て・き・た・ま










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